年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

親と子

2014-08-28 00:00:00 | Weblog
 親と子の距離感について考える。共依存を考える。一言でいえば、「他者に必要とされることで、自分の存在意義を見い出すこと」であろうが、夫婦間であれ親子間であれ、友達関係であれ自分がいないと相手が困るだろうとの関係性の中で、自分の存在感のみ相手に押し付ける・・様な感じだろうか。自分を押し付けることにより相手の自由を束縛し、相手を丸裸にして自分側の優位性を確保しつつ相手を従属させる。そのうち相手側にも自分がいないと存在しづらくなってくるような・・共依存関係。
 問題は共依存すること自体ではなく、是か非かということでもなく依存しなければならなくなっているこちら側とむこう側のそれぞれの自分自身の問題に盲点があるように思う。

 弟が入院している。心臓の肥大は以前からDrから指摘されていた。そして先月発熱したところ、治まったかに見えたもののそれが完治せず、また7月に強制入院。その入院中、先週から炎症反応があり発熱した。2~3日はモノも言いにくそうであったし反応も芳しくはなかった。これは大変だと思ったものの母親に伝えることはなかった。昨年の妻の事故と同様に。母親自身も日赤病院からリハビリ病院へ転院し4月にやっと退院して以来養生の日々を送っていたが5月の連休明けに社会的入院をしていた弟と一緒に、介護施設と障害施設の支援により二人で念願の同居を始めるに至った。で、しばらくは何とかやっていたものの、お互いに不自由な身体、一方が呼び寄せてもすぐにそばに行くこともできない有様、弟は全く立つことさえできないし、二人とも耳が不自由であることも重なる。そうして弟の入院。このような状態で母親に弟のことを伝えることはなかったが、そこは実母、どうも私と妹の動きがおかしい・・南松山病院に出入りする回数が多い・・何かあったのか・・と母親は一人で介護タクシーを呼び寄せ車いすで病室へ弟の顔を見ることとなった。でも、母親自身力も全くなく何もすることができないものの、何かをしなければならない気持ちが強く出る。例えば食事においても看護補助のスタッフさんにいつものように任せればいいものの、以前からの習慣で私が食べさせないと・・と思うも、自由にならない自分の身体。よって私に至急電話が入り、スプーンで弟に食べさせろ・・となる。母親の生き甲斐や存在感は、訓練とか育てるとか考えさせるとか力をつけさせることではなく自分が取って代わって先回りをしてすべて本人に成り代わりすることであった。それは幼少のころからの習慣である。でも元気な間は良かったが、今となってはそれができないことの苛立たしさが出る。まぁそのような構図のなかで周りの者が慌てふためき右往左往させられているような・・・。

 このような依存関係は、別に人に向かうだけのもでもない。アルコール依存であったりパチンコなどギャンブル依存であったり。また今話題のチャゲ&アスカのアスカのような薬物依存もある。私は治療行為の医師でもなく心理士でもないが、仕事として覚せい剤や毒物・劇物の常習者の相談に入ることもたびたびある。其処では対象依存としての自分について語ってもらうことが多い。