年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

年度初めの喋り口

2017-04-03 21:00:37 | Weblog
 今日の教育支援講話のスタートは

 谷川俊太郎さんの「卒業式」から。
 つまり、卒業証書を丸めて望遠鏡にして覗いたとき、見えるものは何だったか?見えるのか見えないのか・・そこらあたりからスタートしようと・・。
 振り返るより今後の生きようを不安の中から見つけ出すこと。その発見のお手伝い・・・位にとどめようと考えた。
 
 矯正施設にいる受刑者は、自分の考えや想いを自分の口から表現することより、面従腹背のごとき、ハイと云う返事をすることは多いが、それを彼らが実行するとなると難しい。ましてや面従腹誹かもしれない。

 受刑者が自ら目標を持ち計画を立てそして実行することが難しいと思う。それに対して、支援する側に求められるもののうちの有効な手立てを探すもいつもことごとく裏切られることが続く。塀の中に入るのは二度と嫌だという決意にも似た判断とは裏腹に自分を沈めるのに塀の中の居心地の良さがあるのではないかと・・疑う。
 つまり、社会に出ると拒否、拒絶される自分の身の置き所を再びの社会の中で探すことより、数年住み慣れた共同社会では全員が罪名を負った者同士につき少なくとも心が落ち着くのではないかと疑ってしまう。
 ある者には小学校や中学校レベルの勉強時間を与え、ある者には教誨師が壇上から宗教について、例えば仏教から、あるいはキリスト教から彼らに訓え、また地方において文化勲章を頂いていられるような高齢のご婦人が、こんなとこには二度と来てはいけんよなどと口酸っぱく諭したり、そして私たちのチームは出所後の仕事について支援をする日常にあって、結果が出るのは出所後の彼らの行く末。成績表にも似て自分たちのチームにその結果が出る。成績が良いとは言えない。

 ガラケーの万歩計を意識する奥さんに刺激され、私の毎日の散歩の歩数が気にかかる。 日曜日が9,000歩、昨日が8,100歩の私に対して奥さんが云ってる。 勝った勝った 〇〇歩私の方が多い・・などと喜んでおる。

 朝はまだサムい。しかしソメイヨシノの桜が一気に花開いている。

 受刑者のあんたに仕事のお世話をするから、面従腹背のことではなく私の言うとおりにしてくれと・・・などとかんがえていると・・・
 吉本隆明の初期の詩を突然思い出した。

《恋唄》より抜粋
   おれが愛することを忘れたら舞台にのせてくれ
   おれが賛辞と富を得たら捨ててくれ
   もしも おれが呼んだら花輪をもって遺言をきいてくれ
   もしも おれが死んだら世界は和解してくれ
   もしも おれが革命といったらみんな武器をとってくれ

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