年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

お~忘れたか

2018-12-06 00:00:00 | Weblog
 喪中欠礼状を出したところ、早速電話連絡があったのは従兄弟のアッちゃんから。エ~ッオバちゃん亡くなったの知らなかった・・と。
  そうだった・・5月の母親のお葬式は、子ども4人と孫1人に妹家族4人の12人だけで見送った。誰に気兼ねすることもなく自分は母親の死を直接見守り、子どもつまり孫たちはそれぞれが自分の中のおばぁちゃんと直接対話しながらお見送りをする、自分としては心温かく見守りながら見送ったと思っている。死を誰かの目を意識することもなく自分自身と母親、孫たちは祖母とゆっくり対話ができたんだと。そして母親の友達や親戚の人には後日お便りで報せた。元気な時の母親が私に話していた希望通りに見送った。母親は自分自身の死を社会的(といってもごくごく身近な関係であったろうけど)のことではなく、自分の死を個人的なものとして見送って欲しいというものがあったので。

 アッちゃんの弟の下呂市にいるヤッちゃんから何年か振りに電話があったのが先週。内容は病気も快復したのでまた働きたいと、就職できた:から保証人になって欲しいというものである。二つ返事でOKと。さっそく郵便で送られたペーパーに署名捺印して送り返したのが昨日。アッちゃんヤッちゃん兄弟も5人家族であったのが2人だけになっている。

 カレンダー12月に奥さんが〇記しをしておる。この日は何があるの?と聞くとこことこことここは〇〇〇の誕生日よ・・という。あぁそうだった、忘れてたなぁ。これは何の日?と聞けば、「みんま」だという。この地方特有の行事ごとらしいけど、今年亡くなった人のお正月らしい。

 私の誕生日がノーマークになっておる。アレレまだ〇が付いてない日もあるんじゃないの?と聞けば、何かあるの?と聞き返された。そうなんや、私の誕生日もあるのになぁ・・と思うも、まぁエエか、ジイさんも誕生日を祝ってもらおうなどと思ってないのでネ。毎年私の誕生日はスルーされておるのが恒例となっておる。シャァナイ自分でこっそり祝おうではないか。


 今日の受刑者相談は5人立て続けに。終えた時には、な~んも覚えてはいないようなことで、困っとる。内4人は近々釈放される身柄で、仕事先もほぼ決まっている。その彼らに対して就労定着をすることの話が中心。

 全国の矯正施設の就労支援チームが困っていることの一つに、就職先を決めて出所してもすぐに辞めてしまう特徴がある。何も出所者だけが早期退職するようなことではない.一般の求職者、高卒学卒の若い人たちもすぐに辞める流れが今の日本の労働市場に表れてる。それらの人と違う点は、出所者には出所後出社しないということがままある。出社しても2~3日で出社しないことも多く報告されている。よって自分たちスタッフは、就職先が決まっていても何度も何度も身柄を引っ張って来て口酸っぱく彼らの耳元でささやくように云ってる。自分が伝えているのは、仕事を通して自分を成長させようよ、自分の中の男を磨こうよ・・ということだけ。

  そのためのワークブックを作りなさいと云われたのが5月。そろそろ年も変わるので仕上げようと制作中である。