年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

平成の大晦日

2018-12-31 20:47:28 | Weblog
朝9時の石鎚



と、皿ヶ嶺

午後1時の石鎚



夕方5時の石鎚




 明治時代に日清戦争・日露戦争があった。大正時代に第一次大戦があった。昭和になって満州事変・支那事変・太平洋戦争があったと自分たちは学校で習った。日本が核爆弾による被災地となった昭和の時代。そして海外ではベトナム戦争などで直接派兵することはなくともアメリカ軍は日本にある滑走路から飛んだ。平成時代になって直接戦争のことでは、日本が直接火砲兵器持参の派兵などと活字にならなかったが、自衛隊の戦地出動が活字になった。これまでの自分たちが学校で学んだ戦争については、教科書からである。
 でも、団体戦としてつまり軍隊組織で意思疎通を隅々まで網羅した闘いから。どうやら個人戦のごとく変化しているような錯覚を受ける。ボタン一つで、あるいはゲーム感覚でPCのマウスを操作しEnterキーを打って決定しているような、汗や臭いや体感を共有しないような戦い。独りでの大量殺人可能な時代に変化していることでは、たとえ砲弾の臭いがなくとも今自分たちの日常生活にまで巣食っているようだ。例が適切ではないが昭和までの戦争が陽とすると今の、またこれからの戦争は陰の戦争のような感じがする。

 このブログを書きながらNHK紅白歌合戦を何年かぶりにラジオで聞いている。歌い手は団体・グループが目立つ。個の歌より複数の人が踊りながら歌う。そして空気を陽の方向に作る。個を埋没させ団体で表現する方向。個から全に移動する時のこと、個人のこころは違っても団体での決定事項によって急ぎ足で戦争に出かけた戦が先の戦争ではなかったか。平成の時代は戦争がなくてよかったと・・平成天皇が12月23日に話しておられたのを活字で読んだ。たしかに破壊の筆頭である戦争事項はなかった、そのかわり経済中心に、物質的豊かさを追い求めてきた。それに疲れてきたのだろうか、平成時代は。あるいは自分たちには物を追い求めながら何か決定的な間違いを犯したのではないかと懐疑し始めた人が増えたんだろう。ストレス社会になってしまった。相変わらず犯罪名では財産犯は多いが、以前に増して覚せい剤犯罪や性的犯罪が目立つことと、年齢的に高齢者の犯罪者がデータ上では目につく。学校の教員をはじめ知識者の思いがけない事件などなど、ニッポンはこれでいいのだろうか?と疑う。そして自分たちは何をこれから大事にしていかなければならないのだろうか?と考える。

 今日の大晦日、昨年と同じように父と弟と今年になって入ることになった母の眠っているお墓に花を手向ける。そしてここから見える瀬戸内海の海は穏やかである。

青島も

由利島も

 その島々と小さな町とその漁港から見える向こうの町の領域が、私の宇宙であったときは父も母も弟も私も妹も5人でワイワイ騒ぎながら物は貧しくとも、食べるものは食卓に魚の煮つけとダイコンすりしかなくとも、今思えば贅沢三昧の生活であった・・と。昭和から平成をすり抜けた感じです。次の年号の時代では煌びやかなことよりどっしり落ち着いたような、華奢なことより豊潤で無骨な穏やかな営みが生活の上位に満ちているような時代であればエエなぁ・・・。