どうしてみんな仲がいいんだろう・12時に始まり、2次会が終了したのが21時。その間、飲む・喋る・喰う・笑う・喋る・笑う・喰う・飲む・笑う・喋る・笑う・ほとんどの時間笑ってる、みんな。連続する笑い声が絶えない時間をかつて経験したことはない。
幹事長のユタカさんの挨拶から、もうみんな笑ってる。
ワイワイの轟音が鳴り響いてるような
男女関係なく下の名前で呼び合える同級生。私もヨッちゃんと皆に言われるのも久しぶり。
2年に1回集まることにしている。関東方面から5人、関西方面から6人の遠路から来られた人含めて56人。なんだか毎回参加人数が増えているような・・。
古希の祝いとして
紅白饅頭と赤飯。これはオーシタ君からのプレゼント。
出席者のお土産持参もうれしい。
埼玉のサナエさんからはプリントタオル。
トモ子さんやキョウ子さんの手作り作品は毎回手が込んでいる。
ハルやんからは、 神戸のおはぎ120個。
そして考えた。どうしてみんな、全員が笑顔になり楽しくしゃべっているのだろうかと・・考えてみた。
それぞれにできたいくつかの輪の中にいれてもらって話を聞いた。昔々15歳当時のこと。時計の針を戻す。
一つ、将来がどうしてよいかわからない、不安と希望の入り混じった、でも体力があり食欲もあり腹さえ満たせば、ただただ一生懸命にやれば、もしかして何とか生きていけるのではないかと、もがきあがきながら青春時代を送った自分たちを知っている者同士だからこそ、古希を迎えた今の「私」が「15歳の私」に出会える時間が有ることの嬉しさと懐かしさではなかったか。
二つ、子も巣立った、孫もいる、仕事がなくなった、主人が亡くなった、妻が亡くなった、親も亡くなった、健康もおぼつかなくなった今、喪失したもの、捨て去ったものの方が入ってくるものや獲得したものより圧倒的に多くなったわれわれの今の姿である。横を見れば同世代は云うに及ばず同級生も次第に亡くなっている今、先行きどうなるんだろうかと・・「不安」のこと。孤独感に苛まれている。子や孫や配偶者に囲まれていても孤独感がつきまとう。だからお互いに理解し合えるかつての友人とつながっていたいの気持ちが湧き起る。誰か社会とつながりを持ちたいと最初に考えるのは昔の同級生であり友人ではないか。
そして三つ目にわかったこと。同級生の15才時、何人かの友人の家に遊びに行ってた。畳ではなく藁を敷き詰めた部屋で数枚縫い合わせて拡げた麻の肥料袋に刻んだ藁を入れてかけ布団にしていた家が少なくない時代である。その家庭の子女に「高校に進学し勉強をする」余裕などなく、日本が高度経済成長する初期の頃、中学卒業後集団就職せざるを得ない。
総理府統計局調査資料では現代には確かに貧困家庭があり、例えば生活困窮者自立支援制度に乗っかる人も多いが、のぞいて今のようにもし教育に目を向ける余裕があったとすれば、学業成績優秀な頭のいい人が、今日の出席者の中に何人もいただろうと思った。彼ら彼女たちの中には、頭はイイが家庭の経済的理由に因り勉強を放棄した者が少なからずいるだろう。このような人は同級会には出席してるんだろう。反面頭が悪い?にもかかわらず教育熱心な親に脅迫されつつ嫌な学業生活を中途半端に送ったように思われる人は出席していない、とおもわれたこと。
まとめると、衰退するわが身に抗うかのように伸び盛りの盛んであった自分を懐かしんで昔々机を並んで座っていた当時の自分を再発見する・・・そのことが楽しい・・ということではないか。
腹が出てる、髪も薄くなってる、顔のしわが多いとはいえ、一人一人の笑い顔は、15歳の顔と同じ顔である。男も女も。その笑い顔で15歳の同級生を見つけることができた。
今日は晴れ。会場から見下ろす瀬戸内海の波穏やか。
幹事長のユタカさんの挨拶から、もうみんな笑ってる。
ワイワイの轟音が鳴り響いてるような
男女関係なく下の名前で呼び合える同級生。私もヨッちゃんと皆に言われるのも久しぶり。
2年に1回集まることにしている。関東方面から5人、関西方面から6人の遠路から来られた人含めて56人。なんだか毎回参加人数が増えているような・・。
古希の祝いとして
紅白饅頭と赤飯。これはオーシタ君からのプレゼント。
出席者のお土産持参もうれしい。
埼玉のサナエさんからはプリントタオル。
トモ子さんやキョウ子さんの手作り作品は毎回手が込んでいる。
ハルやんからは、 神戸のおはぎ120個。
そして考えた。どうしてみんな、全員が笑顔になり楽しくしゃべっているのだろうかと・・考えてみた。
それぞれにできたいくつかの輪の中にいれてもらって話を聞いた。昔々15歳当時のこと。時計の針を戻す。
一つ、将来がどうしてよいかわからない、不安と希望の入り混じった、でも体力があり食欲もあり腹さえ満たせば、ただただ一生懸命にやれば、もしかして何とか生きていけるのではないかと、もがきあがきながら青春時代を送った自分たちを知っている者同士だからこそ、古希を迎えた今の「私」が「15歳の私」に出会える時間が有ることの嬉しさと懐かしさではなかったか。
二つ、子も巣立った、孫もいる、仕事がなくなった、主人が亡くなった、妻が亡くなった、親も亡くなった、健康もおぼつかなくなった今、喪失したもの、捨て去ったものの方が入ってくるものや獲得したものより圧倒的に多くなったわれわれの今の姿である。横を見れば同世代は云うに及ばず同級生も次第に亡くなっている今、先行きどうなるんだろうかと・・「不安」のこと。孤独感に苛まれている。子や孫や配偶者に囲まれていても孤独感がつきまとう。だからお互いに理解し合えるかつての友人とつながっていたいの気持ちが湧き起る。誰か社会とつながりを持ちたいと最初に考えるのは昔の同級生であり友人ではないか。
そして三つ目にわかったこと。同級生の15才時、何人かの友人の家に遊びに行ってた。畳ではなく藁を敷き詰めた部屋で数枚縫い合わせて拡げた麻の肥料袋に刻んだ藁を入れてかけ布団にしていた家が少なくない時代である。その家庭の子女に「高校に進学し勉強をする」余裕などなく、日本が高度経済成長する初期の頃、中学卒業後集団就職せざるを得ない。
総理府統計局調査資料では現代には確かに貧困家庭があり、例えば生活困窮者自立支援制度に乗っかる人も多いが、のぞいて今のようにもし教育に目を向ける余裕があったとすれば、学業成績優秀な頭のいい人が、今日の出席者の中に何人もいただろうと思った。彼ら彼女たちの中には、頭はイイが家庭の経済的理由に因り勉強を放棄した者が少なからずいるだろう。このような人は同級会には出席してるんだろう。反面頭が悪い?にもかかわらず教育熱心な親に脅迫されつつ嫌な学業生活を中途半端に送ったように思われる人は出席していない、とおもわれたこと。
まとめると、衰退するわが身に抗うかのように伸び盛りの盛んであった自分を懐かしんで昔々机を並んで座っていた当時の自分を再発見する・・・そのことが楽しい・・ということではないか。
腹が出てる、髪も薄くなってる、顔のしわが多いとはいえ、一人一人の笑い顔は、15歳の顔と同じ顔である。男も女も。その笑い顔で15歳の同級生を見つけることができた。
今日は晴れ。会場から見下ろす瀬戸内海の波穏やか。