年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

伝えること

2017-09-04 00:00:00 | Weblog
 対話とか会話とか、そのような1対1、もしくは1対数人だとバカ話で話が弾み笑い声が出る状況の中では説得や説明のごときの話の中味であってもフムフムと聞き終えることができても、やはり力関係性が大きい場合では、話の主導権を握るのは知識の優位性、年齢の高低さにより、暗黙の中で私聴く人、私しゃべる人がうまく交代しながら障害もなくまとまるのが難しい場合がある。

 時には喋る側の上から目線の発言が私聴く人側にされ続けられると、途中で打ち切りたい衝動にかられることは誰にでもあるに違いない。
 そこで相互の対話が遮断される。そこでナンデだろうと振り返ると、ア~そうだった、確認のことがされていないのではないか、常に相手の考えや気持ちを無視してしゃべっているのでないか・・のことがあったりする。。通常しゃべる方はストレスを感じないでもそれを聞く方は忍耐を強いられ聞くことでストレスが拡大することだってある。
アケビの花が咲いた。

 それでは聞かされる側がストレスを感じさせないで90分間耳に入る話には何が大切なことであろうかと・・いつも頭を悩ませる。1対多人数の今日の受刑者向け90分教育支援講演のこと。伝える技術と伝える話の中味をかんがえる。パワポを使ってプロジェクターで見せる視覚聴覚で伝えることは塀の中では自分はやっていない。紙で見せる読むことが中心になる。しかし、言葉を出すことが難しいことがある。技術としての言葉の表現方法のこと。聞く方が思わず引きづり込まされるような表現の仕方が難しい。プロジェクターで見せながらの話は、私は影になりスクリーンが主となる。でもそれなしで相手方に伝えるとなると、話の中味、質よりスットーンと腑に落ちる紙に印刷されたキーワードを探すことから始まる。

 で、本日選んだのは、
9月30日から愛媛国体が始まることにヒントを得て、

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と私たちが学んだことを考えたいこと。これは本来誤用であり、ローマの詩人ユベナリスの『風刺詩集』にある「大欲を抱かず、健康な身体に健全な精神が宿るようように祈らなければならない」の一部が訳され広まったことであってユベナリスの主張とは全く違うものである、と。不健康な体には健全な精神が宿らないという意味ではないこと。身体さえ鍛えていれば健全な精神が育成される・・・などのことではない。その話が今日の講演会の口火。

 すると今日の教室内に一人手をあげた高校野球球児がいた。