年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

CT

2009-08-14 00:00:00 | Weblog
 一昨日の夜、妻が頭が痛いという、吐き気があり、食欲がないと言って夜10時頃帰宅するとすぐに布団に入った。時々頭が痛くなるようだ。で、とにかく病院で頭をCTで診てもらうことにした。結果異常がなく医師からは、偏頭痛だろうと言われたとのこと。ヤレヤレ一安心。
 ハレとケの境が怪しくなった。悲哀の境が怪しくなった。仕事と遊びの境が怪しくなった。公と私の境が怪しくなった。料理についても同じようだ。例えばお盆の今日、仏さんを迎えて、仏につながる縁者が集まり楽しく飯を食べる習わし。スーパーに行くと惣菜の種類を数多く並べていて、買い物客がカゴ一杯に食べ物を放り込んでいる。レジの前に並ぶお客さんの籠の中は、いずれも似たような出来あがりの食材を見つけることができた。フト、思う。それぞれの家庭の食卓にはそれぞれの出来上がりの料理?がたぶんお皿に盛られて出てくるのだろう。食べ物は他の人と私とまったく同じ状態。それぞれの家庭の味は死んだ。それぞれの家庭の味はお惣菜やさんの味に変わっている。人は便利だから、面倒くさくて作る時間がないからとか。美味しいからとか、理由を言うのだろうか。でも、自分の家庭の料理と、隣りの食卓に並ぶ料理が同じである今、自分の個性を発揮しろなどといくら個性を強調しても怪しいのではないか。自分とは何か、自分の食卓に並ぶ自分の家庭の料理とは、他の家庭とどのように違うのかなどと。自分と他人の境界線を低くして同化する反面、自分と他者の差異を求めることは少々厄介である。遊び感覚の仕事、仕事感覚の遊び、安息日の定まっていない就労の現状。みんなバラバラでいるようでも、みんな同じでないと落ち着かない現代人。
 お盆につき、実家の仏壇のお料具を調えるために、母親を車に乗せる。車中では母親の唯一の従妹であるSちゃんの話が出る。Sちゃんの男のお孫さんは医者になっているとか、下のお嬢さんの旦那さんは埼玉の病院で勤務医をしており、今日それぞれ車で関東から帰省するとか。Sちゃんは子供さんとお孫さんの家族を迎えるのに、数十種類の料理をすべて自分の手作りで大きなテーブルに乗せて数年前に亡くなったご主人を迎えてワイワイ言いながら食べるのだ、と笑いながら話してくれた。茗荷の花咲く。