暘州通信

日本の山車

◆左甚五郎 龍門寺の鯉

2006年01月19日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎 龍門寺の鯉
岐阜県七宗町
神淵山龍門寺
臨済宗の禅寺で、延慶元年(1308)美濃国守土岐頼貞を願主として、中国宋の禅僧寧一山国師が開基した。近くにゆかりの古社、神淵神社がある。
龍門寺には左甚五郎が土岐氏から依頼をうけて彫刻した龍がある。
龍門寺の総門は江戸時代初期に建てられたが、棟札によると寛文2年(1662)修復とある。
 甚五郎は土岐氏より龍門の滝を昇る鯉を彫刻するように頼まれ、鯉を彫刻したのだが、甚五郎が去った或る夜、目もくらむ大暴風雨と雷鳴がなりひびいた。変事を聞きつけた猟師が駆けつけ鉄砲で怪物を射止めたところ嵐はやんで静寂が戻った。
夜が明けると鯉の姿は消え、鉄砲の弾傷のある龍の屍骸が横たわっていたという。

◆左甚五郎 誠照寺の唐獅子

2006年01月19日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎 誠照寺の唐獅子
上野山誠照寺
所在地は福井県鯖江市本町3丁目2ー38にあり、
上野山誠照寺の開基は、承元元年(1208)に親鸞聖人が越後へ配流となったとき旅の途中、土地の豪族だった波多野景之の別荘に仮宿した。
このとき景之が一族と共に聞法したこの地を「車の道場」という。のちに景之は聖人の第五子道性上人を招請し車の道場に迎えた。
その後、次第に狭くなったので現在の地に移り、二條天皇より「真照寺」の勅額を得たが、第七代秀応上人のとき花園天皇より「誠照寺」の勅額をうけ、現在に至る。
四脚門は第七代秀応上人のとき、勅許を得て文正元年に建立されたといい、誠照寺の建造物中でも最古の建築物だといわれ、「鳥棲まずの門」、「北陸日暮門」の別名がある立派な門であるが、そのすべては一木から建造したという。虹梁上の彫刻は左甚五郎の作といい「駆出しの龍」、「蛙股の唐獅子」は特に有名で、この門が災難にあわないのは左甚五郎の彫刻が守っているからだという。

◆左甚五郎 樗谿神社の鷹

2006年01月19日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎 樗谿神社の鷹
樗谿神社(おうちだにじんじゃ)は、鳥取県鳥取市上町87にあり、祭神として徳川家康を祀る。
鳥取初代藩主池田光仲により、慶安2年(1649)徳川家康を祭神として建てられた神社で、本殿や拝殿、幣殿、唐門は国の重要文化財に指定されている。
この本殿の鷹の彫刻は左甚五郎の作と伝えられる。

●189 日本の山車 新庄祭

2006年01月19日 | Weblog
山形県新庄市。
新庄まつり。
祭礼は、9月下旬。
祭は250年の歴史があるという。
山車参加団体。

01 馬喰町
02 北本町
03 南本町
04 東本町
05 上金沢町
06 新松本町
07 若葉町
08 川西町
09 横町・下馬場町
10 大正町
11 落合町
12 鉄砲町
13 北町
14 沖の町
15 常中町
16 清水川町
17 下金沢町
18 上馬場町
19 末広町
20 千門町
21 上茶屋町

趣向を凝らした21臺の山車が参加する。祭の一ヶ月ほどまえから歌舞伎名場面、合戦戦記、決闘、英雄などにちなんだ人形を作り、祭にはこれを乗せた山車を曳く。新庄祭で曳く山車は「山車」と書いて「やたい」とよむ。

〒996-0022
新庄市住吉町3番8号
新庄商工会議所 内
新庄まつり委員会
電話 0233-22-6855