暘州通信

日本の山車

●223 国産牛のBSE(牛海綿状脳症)は飛騨牛から ?

2006年01月23日 | 行政・司法問題
■国産牛から、BSE(牛海綿状脳症)が見つかったとき、国内で大きな話題となった。■「結局原因不明のまま、うやむや・解明できずしまい」と見られていたが、このたび匿名投書があり、原因は丹波から導入された「安福」という牛が、イギリスで問題になったのとおなじ症状(足が立たなくなって転倒するテレビ映像はよく流れた)とおなじように、腰が抜けて転倒する病気で死亡し、その遺体を粉末状にして飼料として出荷していた。という情報が寄せられた。■死亡していた「安福号」は飛騨牛のルーツとされる優秀な牛だったが、当時農林水産大臣だった武部勤氏(現在自民幹事長)の指示で病死した死亡原因を飛騨農協がひた隠しにしていたということである。■飛騨牛とBSEを結びつける確証はないが、当時飛騨牛を処理していた施設を急遽閉鎖するなど、疑問は尽きない。■飛騨農協の会長・大池裕氏は当時全農の会長をつとめ、武部氏とは昵懇の間だったというが、大池氏は輸入の鶏肉を国産と偽って出荷していたことが露見して全農会長を辞職した事実ともあいまって、黒い疑惑に包まれている。■飛騨農協の職員はこのことをよく知っていて、飛騨牛はぜったい口にしないのだそうである。
■当局は、疑わしきはきちんと解明し、疑惑を払拭すべきだろう。

◆左甚五郎 筑前の鮎

2006年01月23日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎 筑前の鮎
 左甚五郎は筑前を旅していたが、河のほとりで一服していると熱心に魚を釣っている子供がいる。しかし半刻ばかり見ていても一向に釣れそうにもない。
「おい、坊、釣れんか?」。こどもは黙ってうなずいた。きけば、病気の父親に鮎を食べさせたいという。
これを聞いた甚五郎、流木をひろってきて八寸ばかりに削り、「おい、坊これでやってみろ」とすすめた。
こどもは怪訝な顔をしていたが、言われるままにこれを囮にして河にはなつと見る間に竿がしなって大きな鮎がかかった。こどもは喜び次つぎと鮎を釣り上げた。毎日のように河に来て鮎を釣り、父親に食べさせた。
 あまりの鮎は魚屋に買ってもらい、薬を買うこともできて、父親は見るみるもとのように元気になった。同じように鮎を釣っていた大人たちは、これを見てびっくり。こどもをだまして甚五郎が作った囮の鮎を取り上げた。
さっそく河に行って鮎を釣り始めたがふしぎなことに一向に釣れない。ついに愛想をつかしてこどもに返したがこれからあとはこどもがやってもまったく釣れなくなってしまった。
一年も過ぎたまた夏のこと、甚五郎が通りかかった。こどもはその姿を見るや甚五郎の袖にすがって泣き出した。「おじさん! 鮎がつれなくなったよ」。「うん、どれどれ、見せてみろ、ははあ、なるほどこれでは釣れんな」。「……?」。「おまえ、囮の鮎を水から上げておいてはいかんな」。