暘州通信

日本の山車

◆左甚五郎 池神社の狛犬

2006年01月15日 | 日本の山車 左甚五郎
◆左甚五郎 池神社の狛犬
 池神社とは、奈良県磯城郡田原本町法貴寺の初瀬川沿いにある、池坐朝霧黄幡比賣(いけにますあさぎりきはたひめ)神社のことで、延喜神明帳式内の古社、「池坐朝霧黄幡比賣神社」とある。
 祭神は天萬栲幡千々比賣命 菅原道真公で天満宮とも云い、神紋は梅鉢。社名鑑では祭神は天萬栲幡黄幡比売命。境内は広く法貴寺の鎮守として祀られたというが、創祀は不明である。法貴寺はもと秦河勝が草創したもので、秦氏ゆかりの神社で、機織の神であって推古帝24年(615)聖徳太子より法貴寺寺領を賜った秦氏がその祖神守神として崇敬した古社として知られ、本殿左右にイチキシマ(市杵嶋)、コトヒラ(琴比羅)、スサノオ(須佐男)、コトシロヌシ(事代主)などを祀る、波知久麻明、梅尾、松尾、春日神社などの末社が並ぶ。
 法貴寺記録によれば天慶9年(946)9月19日に北野天満宮より菅原道真公を勧請し相殿したことが見える。古来法貴寺天神又は天満宮として知られ、中世には土地の豪族だった長谷川氏の氏寺であり、法貴寺の鎮守神として信仰をあつめていた。 例祭日を10月19日とするのは旧暦の9月19日菅原道真公を勧請したのにちなむ。近世以降も 法貴寺の実相院が社僧として社務全般を支配した。この関係は神仏分離により法貴寺から池神社が分離されるまで続いた。
 この法貴寺の池神社に、左甚五郎が奉納した狛犬がある。
ある夜、泥棒がこの狛犬を盗み、鍵の村方面に逃げた。ところが五加木(うこぎ)の下に来るとその狛犬は突然吠えたので、驚いて狛犬を放りだして逃げていった。この狛犬は左甚五郎の作として今も神社に伝えられている。
 左甚五郎は、奈良県磯城郡田原本町法貴寺の山車彫刻を彫るため飛騨の高山から招かれたが、賃料だけでは支払いができなくなって、酒手のかわりに池神社の狛犬も手がけたという。
 池神社では、秋の例祭に5台の山車が曳かれた。山車は近世の製作で、中国古典などを題材とした彫刻が施されている。かつては曳き回されていたが、現在は飾り立てて神社境内に展示するだけとなっている。

◆国昌寺の龍

2006年01月15日 | 日本の山車 左甚五郎
◆国昌寺の龍
 埼玉県さいたま市(旧浦和市)にある国昌寺は、説明書きによると、山号を大崎山、曹洞宗の寺院で染谷(旧大宮市)常泉寺の末寺である。開山は心巌宗智で、一時衰退したが中興は能書家としても著名な大雲文龍で、徳川家光から寺領10万石が寄進されたという。
境内にはセンダンバノボダイジュ(旧浦和市指定天然記念物)、阿弥陀一尊種字石塔板碑(旧浦和市指定有形文化財)、寺宝として大雲文龍書の大弁財尊天号の軸物(浦和市指定有形文化財)などがある。
山門は、宝暦頃の建築で、旧浦和市指定有形文化財に指定されているが、この欄間に彫られた龍は、左甚五郎の作と伝える、
この龍は日光の仕事を終えて帰る途中の左甚五郎に彫ってもらったのだが、完成後、棺を担いでこの門をくぐり抜けると、この龍に肉体の中身を食われて軽くなるといい、また、夜なよな見沼あたりにでかけては作物を荒らすので、ついに釘づけにしたという。