●46461 鹿児島県大隅町
岩川八幡の弥五郎どん祭
鹿児島県大隅町
岩川八幡宮
当社の祭は川くだり神事であるが、「弥五郎どん祭」として人気がある。
巨人信仰は各地に残っており、むかし、大男がモッコで運んだ土で富士山をつくり,土を運びだした跡は琵琶湖となり,とりこぼした土は三上山になった。各地の山,川,湖,盆地などダイダラボツチ,デエラボツチヤ,ダイダラボウシの落とし物や足跡だという地は多くある。
鹿児島県、宮崎県にも「弥五郎どん」伝説があり,秋には宮崎県山之口町の円野神社(昔は的野正八幡神社)、日南市飫肥の田ノ上八幡神社、鹿児島県大隅町の岩川八幡神社の三箇所で「弥五郎どん祭」が行われる。祭は「浜下り神事」で、いまは海まで行くことはなく、市街地のみ御神幸する。
11月3日、大隅町岩川神社の祭礼に巨大な弥五郎どんが曳きだされる。身の丈は4.85メートルもあるという。御神幸の先導役をつとめる。本体は割竹を編んでつくり、単衣と袴を着用する。弥五郎どんとはは,養老4年(720)に反乱を起こした隼人族の首領であつたといい、弥五郎どんは三人兄弟で、山之口が長男、岩川がニ男、日南市鉄肥が三男という説がある。いずれも八幡神社の例祭に浜下りの先導をする
大隅町では,一年を通じて最もご馳走の出るのは,弥五郎どん祭の日で、方祭(豊祭とも書く)で,親類縁者の家にでかけ「ボゼイトコ」といって遠慮なく上がりこみ、ご馳走をよばれる。接待する側は,コンニャクと甘酒をふるまい,「マンカン飯」という赤飯を竹の皮に包んで土産に持たせる風習がある。
方祭(豊祭)は,放生会からの転訛したものだといい、この日は放生会は捕らえられた生き物を放つ行事で,農作業で殺した虫たちを,収穫の終わるのを待つて供養する。
隼人族は朝廷軍に鎮圧され,弥五郎どんともども多くの民が戦死した。この時の死者の霊のたたりを恐れた朝廷は,宇佐八幡の神託を受け放生会をとり行ったが、弥五郎どん祭はその名残りなのだともいう。