暘州通信

日本の山車

◇00064 田原祭

2009年08月09日 | 日本の山車
◇00064 田原祭
愛知県田原市(旧渥美郡田原町)
八幡社、神明社、巴江神社各社の合同祭。
□祭は九月中旬。
山車を曳く。
□山車
・本町
雪輪
・萱町
分銅
創建は、明治十三年。
・新町
抜け九曜
・巴江

・衣笠
現在山車三臺を曳く。
□汎論
田原祭は、江戸時代中期までは熊野神社の祭として行われれてきた。記録によれば宝歴三年(一七五三)より神明社、八幡社が加わり三社祭として齋行され、明治のはじめまで続いたといわれる。宝歴七年(一七五七)八月の藩記録である『萬留帳』に、「本町、上り町、横町、中町申し合わせ、合同で藩の浅葱地無紋の横幕、天幕を借用して車を仕立てたとあるのが田原の「山車」の最初の記録とされる。嘉永二年(一八四九)八月、本町で「傘鉾幕」を新調の記録があり、幕が保存されている。幕末期までは傘鉾が出ていたと推定され、現在のみられる尾張地方で見られる山車のような二層式三の山車へとしだいに移行していった様子が伺える。傘鉾は曳山と舁山の両方あったと伝えられるが、その臺様は不明である。
祭の夜には、神輿様に設らえられた花火臺が町内を曳き、広場にあつまり、青年たちが抱えた大筒からは火が噴き上がる豪快な「手筒花火」が披露される。
□問い合わせ
田原市観光協会
電話 0531-23-3516

□外部リンク
◇吉原本町 あたりで
2009/6/13(土) 午後 9:52
*** 吉原祇園祭2009 ***  於:静岡県富士市吉原本町通り周辺 別に誰が勝つ負けるというものはない! みんなが楽しんでワイワイと過ごしています。 頑張るってるのは山車を安全に導く誘導員のみなさま達、ガンバ! お祭りは明日まで続く!
  http://blogs.yahoo.co.jp/shiba_futo/48296740.html

◇【=川越まつり=②】~山車の紹介編(1)~
2005/10/31(月) 午前 7:05
... 人形は 原舟月 の作で,天保6年に修理した記録がある. 二重鉾で四ツ車の山車は,昭和3年に回り舞台に改造.欄間形式 ... 十一. 元町一丁目/・牛若丸(うしわかまる)の山車 もと旧十ヵ町の本町で,昭和34年に山車が復活.白木造りで二重鉾,四ツ車,唐破風 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/qazxswedcvfr2004jp/15483201.html

◇愛知万博 参加 山車組 一覧
2005/5/26(木) 午後 2:45
... 岡崎市 No.80 矢作2区東中之切 No.81 矢作3区西中之切 加茂郡足助町 西町 新町 本町 田町 蒲郡市 No.82 三谷西区「恵比寿山車」 No.83 三谷中区「花山車」 No.84 三谷東区「若宮丸」 刈谷市 No.26 刈谷 小垣江 肴町 小牧市 No.27 横町「聖 ...
 http://blogs.yahoo.co.jp/michy_f_wb4/3429910.html

◇04927 渥美畠神社祭

2009年08月09日 | 日本の山車
◇04927 渥美畠神社祭
愛知県田原市(旧渥美町)福江宮ノ脇
畠神社
□祭神
フツヌシノカミ 経津主神(香取神)
タケミカヅチノカミ 武甕槌神(鹿島神)
アメノコヤネノカミ 天児屋ノ神
ヒメオオカミ 姫大神
オオタノカミ 大田神
アメノオシホミミノミコト 天忍穂耳命
アメノホヒノミコト 天穂日命
アマツヒコネノカミ 天津日子根命
イクツヒコネノミコト 活津日子根命
クマノクスヒノミコト 熊野久須毘命
タギリヒメ 多紀理毘売命(宗像神)
イチキシマヒメノミコト 市寸嶋比売命(宗像神)
タギツヒメノミコト 田寸津比売命(宗像神)
ミズハメノミコト 水速女命
配祀
天神社 菅原道真
津島神社 須佐之男命
池御前社 水速女命
英霊社 戦没各位の御柱

□山車
・下地組
・原組 原ノ島
・紺組 紺屋
・新組 新宅
・澤組 沢
□汎論
 畠神社の創祀は不明。多くの神が祀られるが、のちの合祀によるものと推定される。
当地は古代、安曇氏の支配地だったと考えられ、宗像三女神が祀られていること、アマツヒキネノミコト(天津日子根命)は、古事記、日本書紀では表記が異なるが、スサノオとアマテラスオオミカミとのあいだに生まれた、五男三女の三男にあたるとされる。
 イクツヒコネノミコト(活津日子根命)は、古事記、日本書紀ではスサノオとアマテラスオオミカミとのあいだに生まれた、五男三女の四男にあたるとされる。滋賀県の彦根市の市名でもある、イクツヒコネノミコト(活津日子根命)はおなじ安曇氏にゆかりのある滋賀県蒲生郡安土町の活津彦根神社もおなじ祭神である。少彦名命とはおなじ神とする説もあるが不明な点が多い。アマツヒキネノミコト(天津日子根命)とイクツヒコネノミコト(活津日子根命)は兄弟神である。

◇25578 志賀海神社

2009年08月09日 | 日本の山車
◇25578 志賀海神社
福岡県福岡市東区志賀島
志賀海神社
□祭神
ウワツワタツミノカミ 表津綿津見神
ナカツワタツミノカミ 仲津綿津見神
ソコツワタツミノカミ 底津綿津見神
配祀
ジングウコウゴウ 神功皇后
タマヨリヒメノミコト 玉依姫命
オウジンテンノウ 応神天皇
□汎論
 志賀海神社は「漢委奴國王」の金印でよく知られる志賀島に祀られる。延喜式神名帳に大社として記載される古社。三祭神ウワツワタツミノカミ(表津綿津見神)、ナカツワタツミノカミ(仲津綿津見神)ソコツワタツミノカミ(底津綿津見神)が祀られる。
 龍の都とも言い、イザナギノミコト(伊弉諾命)の禊祓により生まれた神とされ、全国の綿津見神社の総本宮であり、海神の総本社で、阿曇氏が祭祀を司ってきた。
 筆者按ずるに、チュウアイテンノウ(仲哀天皇)とジングウコウゴウ(神功皇后)の九州征伐とは、皇統と大和政権を確立する上で海神の総本社に祀られる海神三神の引渡しを求める必要があり、チュウアイテンノウは妃も子もいたが、媒に有力な賀茂氏の一族である息長帯氏の援助を請い、ジングウコウゴウが使わされたと見る。
 スサノオノミコトとアマテラスオオミカミのあいだに不和が生じ、天孫族は海神氏(綿津見氏)からはなれ高天原に天下った。一方スサノオノミコトは朝鮮の曽尸茂梨(そしもり)に天下った。いわば両成敗のかたちで、敢えていえば阿曇氏から放逐されたと考えられる。スサノオノミコトはいわば天皇記である古事記、日本書紀ではかなり悪しざまに扱われているが、素盞鳴命の側からみれば、天照大神(アマテルカミ)はかなりわがままな女神(女性)だったようである。
 天孫族はのちに大和において強大な勢力を持つにいたり、数世紀を経て祖神の引渡しをもとめてきても阿曇氏おいそれとは応じなかった。ジングウコウゴウが三韓征伐に赴いたというのは安曇氏に発言力のある一族の説得を求めるためであろう。
 しかし、結果ははかばかしくなく、ウワツワタツミノカミ(表津綿津見神)に対してウワツツオノミコト(上筒男命)。ナカツワタツミノカミ(仲津綿津見神)に対してナカツツオノミコト(中筒男命神)。ソコツワタツミノカミ(表津綿津見神)に対してソコツツオノミコト(底筒男命)の三神を新しく立て、これをツミエノカミ(住吉神)として祀ることになったと推定される。住吉神社の創祀は神功皇后の九州征伐以降の成立である。
 静岡県袋井市に、延喜式に記載される古社、赤尾渋垂郡辺神社 (あかおしぶたれこうりべじんじゃ)があるが、祭神は、ウワツワタツミノミコト(表津綿津見神)、ナカツワタツミノミコト(中津綿津見神)、ソコツワタツミノミコト(底津綿津見神)と海神三神を祀りつつ併せてウワツツオノミコト(表筒男命)、ナカツツオノミコト(中筒男命)、ソコツツオノミコト(底筒男命)が祀られているのは興味深い。