10年前行きそびれたボロブドールにやっと行くことができた。中部ジャワのジョグジャカルタ市内から北西に約1時間のところにある。車を手配したホテルで、日の出を寺院から見ることを薦められたが、朝4時出発ということだったので丁重にお断りし朝7時出発にした。入場料Rp260,000(約3000円)を払い広い敷地に入った頃の入場者はまばらだったが、遺跡を観るうちにみるみる増え、2時間後遺跡を出るころには人であふれた。
ボロブドールは、7~11世紀に中部ジャワを支配したシャイレンドーラ朝が8世紀に造営した仏教寺院で、地元では、Candi Borobudurと呼ぶ。9層ピラミッドの下位5層は方形で最下層は1辺120m、上位3層は円形になっている。最上段の大きなストゥーパを仏像一体を収めた釣鐘状のストゥーパ72基が取り囲んでいる。ピラミッドは手で抱えられるくらいに小さく成形した20~30㎝大の四角いブロック(安山岩や粘板岩)を漆喰などを使わず丁寧に積み重ねてできている。
シャイレンドーラ朝の起源には、地元ジャワ、スマトラ、インド、カンボジアの4説があり、発見された古マレー語碑文などからジャワ起源が有力とされている。インド起源説は、あのアショカ王が征服した東インドのカリンガを起源とする。しかし、アショカ王のカリンガ征服は紀元前3世紀なので、7世紀に始まったシャイレンドーラ朝とは時代が隔たりすぎていると思う。
9世紀半ば、シャイレンドーラ朝の王子が政争に敗れ逃れたのがシュリービジャヤ朝である。以降、シュリービジャヤ朝は栄え、10世紀にはマレー半島、スマトラ、ジャワを含む広大な地域を支配し全盛期を迎える。シャイレンドーラ朝は、シュリービジャヤ朝に併合されたとも並立したとも言われる。ボロブドールは大乗仏教寺院で、7世紀インド往復時に義浄が立ち寄り修行したシュリービジャヤの首都パレンバンの寺院が大乗仏教だったように、大乗仏教は7~9世紀のインドネシア全域に広まっていた。学校で、大乗仏教は北伝、小乗仏教は南伝と習ったと記憶しているが、大乗仏教は南伝もしているじゃないか。ボロブドールの周りには9世紀のヒンズー教のプランバナン寺院遺跡群もある。現在、インドネシアは世界最大のイスラム教徒人口を有する国で、仏教は衰退、バリ島にヒンズー教、スラウェシにキリスト教が細々と分布する。
ボロブドールは近世まで忘れ去られていて、19世紀始めにラッフルズが土に埋没した状態で発見し、その後、オランダ統治領時代に発掘が続けられた。第2次世界大戦後はユネスコの指導で発掘保存が行われ、1991年に世界遺産登録された。遺跡は2010年ムラピ火山の噴火により降灰の被害を受けたということだったが、丁寧に保存修復されていて好感が持てた。
最下層のレリーフはブッダの一生を描いているというので念入りに見学した。下のレリーフの前でフランス人グループのガイドがしきりにクァトロ(4)と叫んでいたので、これは愛馬カンタカに乗ったシッダールタ王子が腰が曲がり杖をついた老人を見た四門出遊の場面に違いないと思い写真を撮ったが、間違っているかもしれない。次のレリーフは、ブッダの周りに人間だけでなく鳥獣が集まり説法を聞いている。菩提樹下の悟り、初転法輪、沙羅双樹と涅槃などはないかと2度巡ったが結局わからなかった。構内の博物館に期待したが、レリーフの説明は限定的でやはりどのレリーフがどんな場面を表現しているかはわからなかった。ガイドをつけるべきだったかもしれない。