備忘録として

タイトルのまま

Fra Mauro Map

2009-01-12 11:18:57 | 
写真(Wikiより)は、1459年にベネチアの修道士Fra Mauroが作った世界地図(南が上)である。ベネチアの航海士やアラビア世界の情報をもとに作成されていて、1492年にコロンブスがアメリカ大陸を発見する以前では最も精巧な世界地図のひとつと言われている。
この地図で特筆されることは、
1.日本は、”Isola de Cimpagu”と記されているが、1411年作成でMarco Pauloの情報を参考にしたというDe Virga World Mapの”Cipangu”のミススペルだろうとされる。
2.中国のジャンク船は、ヨーロッパやアラブの帆船が1本マストであるのに対し、3~4本マストの極めて大型船に描かれている。鄭和(1434年没)の船は全長120mを超えるとされ、これに対しコロンブスのセント・マリア号はわずか18mだったのに符合する。
3.1434年没まで大航海を行った鄭和はアフリカの東海岸までしか行っていないとされるが、1459年のFra Mauro地図で中国ジャンク船は大西洋に侵入しているので鄭和の別動隊か彼の死後中国船がケープタウンを廻り大西洋まで足を延ばしたことになる。世界史の授業で1497年にバスコ・ダ・ガマが(全長27mのサンガブリエル号で)喜望峰を廻りインド航路を発見したと習ったが、これに先立つ40年前に中国船は喜望峰を逆に回っていたのである。我々がヨーロッパ中心の世界史を教わってきたかがわかる。

Fra Mauroは月の直径80kmのクレーターに命名され、1971年にアポロ14号が着陸した。Fra Mauro Cratorは本来アポロ13号が着陸する予定だったそうだが、13号は例の事故で予定が変更になったそうだ。

月のクレーターには哲学者や天文学者の名前が付けられている。アポロ1号、ソユーズ11号、スペースシャトル(チャレンジャー)の事故で亡くなった宇宙飛行士の名も冠せられている。コロンビアで事故死した宇宙飛行士は火星のクレーターに名前を残しているそうだ。ところで、Asadaという日本人の名前のクレーターがある。江戸時代の麻田剛立(1734~1799)という医者・天文学者で、ケプラー(1571~1630)の第3法則(惑星の公転周期の2乗は、軌道の半長径の3乗に比例する)を独自に発見したという。山片蟠桃(1748~1821)は彼の弟子で地動説を唱えている。

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