備忘録として

タイトルのまま

わが命つきるとも

2008-02-11 02:43:14 | 映画
ケーブルテレビのMovie Plusで、表題の”わが命つきるとも”(原題”A Man for All Seasons”1966)と”エリザベス”(原題”Elizabeth”1998)を続けて観た。

”わが命つきるとも”はイギリス国王ヘンリー八世が王妃を離婚し王妃の侍女アンと結婚するために、離婚に反対するカソリック教会と絶縁しイギリス国教会を分離独立し国王自身が国教会の首長になろうとするのだが、官僚で最高位にあった大法官のトーマス・モア(法律家、思想家で”ユートピア”の作者、1535年没)は賛成も反対もせずに沈黙したまま職を辞する。名声ある法律家のモアに賛成させたい国王やその取り巻きは、説得、脅迫、幽閉、家族の情など様々な手段を使って彼に賛成させようとするのだが、モアは沈黙したまま査問委員会にかけられ最後は処刑されてしまう。モアが新しく出来た国王を国教会の首長とする法律の”条文によっては賛成できるかもしれない”と言ったので、法律家として法律の文言を変えさせる行動に出るのではと思って見ていたのだが、最後まで沈黙したままだった。査問委員会の場面でも、告発側のクロムウェルが「沈黙には死人のような完全な沈黙と、沈黙することで何かを主張する沈黙の二つがあり、モアの沈黙は反対と見なされる」と主張するのに対し、トーマス・モアは「法廷では沈黙は必ず肯定だとみなされる」と反論したところから、事態が変わってくると思って観ていたのだが、賄賂があったという偽証で陪審員から有罪の判決を受ける。処刑の場で、モアが処刑人に言った「王の忠実なしもべとして死ぬが、神の方が先だ」という言葉から、王に忠誠を誓いながらカソリックに忠実であろうとしたことによる沈黙であったのかと気づかされた。ミステリー仕立ての話に引き込まれてしまった。
”わが命つきるとも”(1966年 原作、脚本:ロバート・ボルト 監督:フレッド・ジンネマン 主演:ポール・スコフィールド)

”エリザベス”は、ヘンリー八世とアンの娘であり、権謀渦巻く宮廷、国際問題、結婚問題の中でエリザベスが大女王になっていく姿を描いている。写真はWikipedia から拝借したエリザベス1世の肖像画(Public Domainすなわち著作権は消滅或いはExpireしている)だが、映画の最後でケイト・ブランシェットが髪を切って顔を白塗りにし”the Virgin Queen”を宣言するメークはこれを模しているに違いない。エリザベス1世(即位1558年)のころのイギリスや時代、国際関係を知ることができておもしろかった。続編”エリザベスGolden Age”を観なければ。
”エリザベス”(1998年 脚本:マイケル・ハースト 監督:シェーカル・カプール 主演:ケイト・ブランシェット)

”エリザベス”は悪くはなかったが、トーマス・モアの信念・信仰・家族愛をミステリー仕立てにしていろいろと考えさせられた”わが命つきるとも”に軍配。
梅原猛の”聖徳太子”が二冊目に入ったところだが、6世紀末女帝推古天皇の時代は、親仏派と排仏派の闘争、朝鮮や中国との国際関係、権力闘争など映画の描く16世紀のイギリスとそっくりだ。