何故このような民族になってしまったのだろうか。特に、韓国は日本が大災害に会うと喜びを隠せないようだ。それはマスコミを見れば一番良く解る。ここに掲載される多くの韓国人の意見が日本の災害を歓迎しているからだ。また、スポーツなどの観戦を見ても応援している韓国人たちはこぞって日本の災害を歓迎している。朝鮮民族が他民族、他国の災害を喜んで報道する考え方は本当のキリスト教国ではあり得ないことだ。この国にキリスト教徒が多いというが本当のキリスト教徒ではなく似非キリスト教徒だということが解る。アメリカなどではキリスト教徒は他人の不幸を見ると、それを救わなければならないという考え方が前に出て援助を行う。
韓国と言う朝鮮民族が暮らしている社会にはキリスト教の本当の考え方が伝わっていないのではないか。特に他人の不幸を歓迎する、と言う考え方はキリスト教信者では絶対に有り得ないことである。宗教をどのように信じようと勝手だが、キリスト教徒を名乗っている朝鮮人たちは似非信者を返上すべきではないか。宗教を名乗らない方がすっきりしていると思うのだが。
世界では不幸なことが多く起きている。自然災害だけでなく戦争やテロ行為などで多くの人が亡くなったり傷ついたりしている。そのようなことが起きているのに、それを歓迎している民族がいるのは何とも悲しいことだ。小生は朝鮮人は今のイスラム国に参加している人たちと同じではないか、と思ってしまう。自分たちの考え方を通すために他のすべてを否定する、と言う考え方だ。
平和国家である、という事を叫ぶなら、他民族、他国の災害を歓迎する、という事は絶対に有り得ないことだ。朝鮮人が何故このような下劣な民族に成り下がってしまったのか。自分たちだけ良ければ、自分たちの考え方を進めるためだから、ということで他人の不幸や災害を喜ぶ、という事なのだろう。このような民族になった背景には、国が勧める基礎教育があるはずだ。基礎教育で、人間性を磨くことをしなければ、そこで受けた教育は死ぬまで変えられない。これは中国の反日教育にも言えること。国連の常任理事国ともあろう国が基礎教育で反日を叩き込み、国ぐるみで日本を敵対する。こんな教育をすれば、それを受けた人たちはまともな考え方が出来なくなる。変質者になってしまうだろう。朝鮮人も中国人も心が小さい偏狭な人間が多くいる、と言うのは真実だ。そんな国と友好など真面にできるわけがない。