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一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

朝鮮民族は他民族の不幸を歓迎する

2015-01-26 05:29:17 | 日記

何故このような民族になってしまったのだろうか。特に、韓国は日本が大災害に会うと喜びを隠せないようだ。それはマスコミを見れば一番良く解る。ここに掲載される多くの韓国人の意見が日本の災害を歓迎しているからだ。また、スポーツなどの観戦を見ても応援している韓国人たちはこぞって日本の災害を歓迎している。朝鮮民族が他民族、他国の災害を喜んで報道する考え方は本当のキリスト教国ではあり得ないことだ。この国にキリスト教徒が多いというが本当のキリスト教徒ではなく似非キリスト教徒だということが解る。アメリカなどではキリスト教徒は他人の不幸を見ると、それを救わなければならないという考え方が前に出て援助を行う。

韓国と言う朝鮮民族が暮らしている社会にはキリスト教の本当の考え方が伝わっていないのではないか。特に他人の不幸を歓迎する、と言う考え方はキリスト教信者では絶対に有り得ないことである。宗教をどのように信じようと勝手だが、キリスト教徒を名乗っている朝鮮人たちは似非信者を返上すべきではないか。宗教を名乗らない方がすっきりしていると思うのだが。

世界では不幸なことが多く起きている。自然災害だけでなく戦争やテロ行為などで多くの人が亡くなったり傷ついたりしている。そのようなことが起きているのに、それを歓迎している民族がいるのは何とも悲しいことだ。小生は朝鮮人は今のイスラム国に参加している人たちと同じではないか、と思ってしまう。自分たちの考え方を通すために他のすべてを否定する、と言う考え方だ。

平和国家である、という事を叫ぶなら、他民族、他国の災害を歓迎する、という事は絶対に有り得ないことだ。朝鮮人が何故このような下劣な民族に成り下がってしまったのか。自分たちだけ良ければ、自分たちの考え方を進めるためだから、ということで他人の不幸や災害を喜ぶ、という事なのだろう。このような民族になった背景には、国が勧める基礎教育があるはずだ。基礎教育で、人間性を磨くことをしなければ、そこで受けた教育は死ぬまで変えられない。これは中国の反日教育にも言えること。国連の常任理事国ともあろう国が基礎教育で反日を叩き込み、国ぐるみで日本を敵対する。こんな教育をすれば、それを受けた人たちはまともな考え方が出来なくなる。変質者になってしまうだろう。朝鮮人も中国人も心が小さい偏狭な人間が多くいる、と言うのは真実だ。そんな国と友好など真面にできるわけがない。

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韓国も中国と同じ癒着と汚職の天国

2015-01-25 06:03:45 | 日記

『業者との癒着や汚職蔓延(まんえん)の背景には、兵器の国産化にこだわる「韓国のコンプレックス」』と言う記事を見て納得した。この国には真実など何も存在しないのだ。朴大統領を見れば公務員はもとより国会議員も同じ構造。こんな国と仲良くすること自体お断り。朝鮮人と付き合ったら、こっちが腐ってしまう。民族そのものが腐りきっているのだから友好などと言う言葉は浮かばない。

歴史教育を見てもウソと捏造だけで造られている。そんな教育を受けた朝鮮人たちは反日と言う言葉に踊らされて騒ぎ立てている。まるで気狂いの民である。癒着と汚職は何処の国でも存在するかもしれない。しかし、韓国のそれは度を越えている。国そのものが腐りきっているのは人民が腐りきっているからだろう。直すとしたら、まず人民の基礎教育から始めなければならないだろう。今から人間を入れ替えることは不可能だ。としたら、やっぱり中国の属国に再びなって漢民族がトップに立ち、朝鮮民族はそれに従って行動する。その間に漢民族に基礎教育をしてもらう。

もっとも、その漢民族もまた癒着と汚職まみれになっているのだから救いようがない。この二つの民族、果たして救えるのだろうか。中国は共産党一党独裁国家、韓国は民族主義国家、北朝鮮は金一族の家族国家、と言う極めて偏執狂的な国家である。このような国家を正常な民主主義国家に立て直すには単に政治形態を変えるだけではどうにもならない。だれかジンギスハンのような強大な人間が現れないか。

癒着と汚職が蔓延する裏には、薄汚い戦いが行われているはずだ。権力、金力、家族、ヤクザ、など非民主的な力で物事を進める方法で物事を決めている。勿論、表面的には法治国家という事を宣言しているが、法律の上に権力者となる人間がいて法律を私物化している。法律を自由に操っているわけだ。法律は自分たちが好きなように解釈して好ましくない人間を抹殺する。民主主義をうたっている韓国は実は民主主義国家ではない。誰が見ても民族主義国家である。こんな国と付き合うとロクなことがないので無視すべきである。

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イスラム過激派が密かに日本に入国したらどうなる

2015-01-24 06:15:55 | 日記

いま世界ではイスラム過激派が大きな動きを見せている。フランスではテロにより多くの犠牲者が出た。また、イスラム国を巡ってはシリアやイラク各地で殺戮行為が続いている。このようなイスラム過激派は、先進国と言われている国々はどのように対処していけばいいのだろうか。これらの動きは日本は決して他人事では済まされなくなってきた。日本には多くの外国人が訪れている。その中に若しイスラム過激派の一味が密かに入国してきたらどうするのか。

日本には治安を守るための警察が存在しているが、イスラム過激派は勿論手ぶらで入国する。しかし、彼らは国内で武器を入手し活動をするはずだ。武器は暴力団関係者からだけではない。必ず起きると考えられるのは自衛隊からの武器強奪ではないか。最初は小さな武器を手に入れ、その後小さな武器を基にして自衛隊を狙う。自衛隊には武器や弾薬が揃っている。武器弾薬倉庫を狙って強奪に成功したら、これらの武器を使ってテロ行為を行う。イスラム過激派は自分たちの目的が達成されたら自ら命を絶ってもいい、と言う考え方で行動する。

イスラム過激派による自爆テロ行為が日本で発生したら大変な事態になる。このようなことが起きないためには警察は勿論、自衛隊においても武器弾薬をしっかりと守ることが重要である。自衛隊は移動することが多いはずだ。移動に際しては、いついかなる時でも対処できる体制を整えておかなければならない。所謂臨戦態勢である。自衛隊にとって不意に暴漢に襲われた時にどのように対処すべきかはマニュアルに書いてあるはずだが、不意打ちを受けるとマニュアル通りにはいかないこともある。

そもそも日本はイスラム過激派に対するテロ活動を防ぐ方法を考えているのだろうか。日本になどイスラム過激派が入国することはない、などと考えているとしたら大間違いだ。東洋人の中にもイスラム過激派に属する人間はいる。羊の皮をかぶって日本に入国することも十分考えられる。油断大敵である。国のリスク管理はもとより国民自身のリスク管理もしっかりと考えておかないといけない。事が起きてからでは遅すぎるのだ。彼ら、イスラム過激派は法律や秩序などお構いなく、そして容赦なく襲い掛り命を奪う。

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完全に心が歪んだ若者

2015-01-23 06:11:43 | 日記

自作自演で終わったことが幸いしたかもしれない。今回のスーパー、コンビニでの食品悪戯事件、問題はここまで歪んでしまった若者の心は何故こうなったのか。どうしてここまで歪んでしまったのだろう。小さい時の育った環境、親の躾など色々と考えられる。しかし、歪んだ心を正常に戻すには時間が相当掛ることは確かだ。歪みは大したことはないように見えるが、歪みの大きさではなく形ではないか。

単なる変形ではなく、伸び切ってしまったゴム輪のような気がする。元に戻そうとしても戻らない。元に戻すには取り換えることしかないが、人間の心を入れ替えることは不可能だ。機械と違って部品の交換で済ませるわけにはいかない。どうしたらいいのだろうか。矢張り、少年院へ入ったことで、そこで何が行われたのだろう。集団生活において仲間にいた人間からどのような影響を受けたのだろうか。

少年院は言い方が悪いが決して正しく生きてきた人間ばかりではない。そこで仲間たちと何年も一緒に生活したことで相当の悪い影響を受けたかもしれない。そして、今でもそこで受けた影響が大きく彼の心の中に存在していて、それが言動や行動に現れる。歪んだ心は19歳になっても正常に戻らない。今後、再び少年院で教育を受けることになるが、同じような仲間がいれば歪みを正常に戻すことは出来ないだろう。

少年院と言う施設は、どのような教育をしているのか知る由もないが、通常の学校教育とは異なる特別なカリキュラムが用意されているはずだ。心理学者がいて青少年の心理をどのような形で正常に戻すかを一所懸命になって取り組むことになるだろう。果たして、そのような再教育をして正常になって世間に再び舞い戻ることが出来るのか。三つ子の魂百まで、という諺があるが、既に成人を目の前にしている少年を社会に正常な形で送り出すことが可能なのか。小生には、より大きな事件を引き起こす可能性の方が高いような気がしてならない。この少年が歪んだ心と正常な心の戦いに勝てるかどうかである。

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居住区域の分断で社会秩序の維持を保てるか

2015-01-22 06:22:24 | 日記

今、様々な原因によって社会秩序が乱れ、治安を乱している。原因としては、貧富、宗教、民族、言語、政治など様々なことが考えられる。人間は10人集まれば10人の考え方が生まれる。100人集まれば100人の考え方が生まれる。全ての人が平等になる、という事は不可能なことだ。考え方の違いで軋轢が生まれ、争いが起き、大きくなれば戦争に発展する。世界には数十億人の人口がある。そこには様々な生活を営んでいる。場所(地域や国)が異なれば、民族が異なれば、宗教が異なれば、政治が異なれば生活形態が異なる。

社会秩序を保つためには、同じ考え方の人間が集まればうまくいくのか。そうはいかない。そこが人間たる所以である。世界には百カ国以上の国があり、数十、数百の人種がおり、数十、数百の宗教が存在する。社会秩序は政治形態によって取り決め方が異なる。どのようにするかは国によって決めることが出来るのだ。民族が異なり言語が異なり宗教が異なっても同じ国の場合がある。このような国が多くあれば世界は平和に暮らせるのだが、中々うまくいかない。

社会秩序を保つための施策は法律である。法治国家と言う名の基に国の秩序は保つことが出来る。そこに居住する人たちは同じ法律で秩序正しく生活が出来る。それが民主国家である。ところが、最近、居住区域により半強制的に様々な考え方を持つ人たちを集めて居住させる、と言う取り組みを始めた国がある。この方法が正しいかどうか難しい問題があるが、取組みそのものは秩序を保つための方法の一つだとしている。

日本は貧富、宗教、民族、言語などによる居住区域の設定は行っていない。民主主義国家としては最も自由な考え方で生活できる体制を取っているのだ。貧富、宗教、民族などによる居住区域の設定が果たしてどのようなものなのか。特に宗教と民族の問題は日本人には理解しがたいものがある。外国では、そのような取り組みをしている所があるが、正しい、正しくない、と言う二者択一で答えが出る問題ではない。但し、そのような方法で社会秩序が維持できる、という事になれば、それはそれでいいのかもしれない。

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