一言、云いたいね

社会の状況を見て一言云わせて貰う

誤訳があったのではないか?

2015-01-29 06:08:15 | 日記

今回、イスラム国と言われている団体から出されていた声明文は極めて重要なものである。そこに書かれている、或いは読まれている文章は全て外国語である。この翻訳に当たっては細心の注意を払って行われているはずだ。問題は、マスコミも独自に翻訳をしていて、それを新聞、テレビなどで報道している。今日、あるテレビ番組の中で、翻訳されている文章に関して意味を取り違えている部分がある、という指摘をしている評論家がいた。

小生は外国語が苦手だし、専門家でもないしそれが誤訳かどうかも判断できない。記憶にあるのは、日本が大変な誤訳をして失敗した例として有名なのが、ヤルタ会談の後に出された日本への降伏を促す声明文である。この声明文の意味を取り違えたために連合国は2発の原爆を広島と長崎に投下し、多くの死傷者を出すことになった。誤訳がどのような悲劇をもたらすかは歴史が物語っている。

今回の誤訳?が今後どのように影響してくるか心配だ。外国語を母国語に翻訳する、と言う作業は何処の国でも行われている。細心の注意を払って行うわけだが、その国の言葉を良く解っている人たちがこの作業を行うのだが、翻訳が如何に難しいかはこの仕事をした人には解りすぎるほど解るはずだ。日本語だって日本人が取り違えることがあるのだから、外国語だったらあってもおかしくはないだろう。

今回はイスラム圏の言葉、アラビア語である。日本人には余り縁がない言葉だ。英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、中国語など世界中に飛び回っている言葉と違ってアラビア語は何となく難しい。書いてある文字も理解し難い。しかし、中近東の人たちはアラビア語を使っているので、これからはもっと研究する必要があるのではないか。言葉の成り立ちから全く解らないこの言葉をもっと知る必要があるかもしれない。一つの国でいえば中国が最も大きいので中国語も今後は必要だろう。世界は今まで欧米中心で動いていたが、今後は中国やアラブ圏が大きくものを云う時代になるのではないか。言葉は知れば知るほど、その難しさが解ってくる。文化と言語、宗教はお互いのために理解し合うことが必要。

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