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カクレマショウ

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言葉の軽さ

2005-02-27 | └人権教育・学習
昨日聴いたある講演の中で、「言葉の軽さ」という話がありました。

たとえば、「セクハラ」。「セクシャル・ハラスメント」(性的嫌がらせ)と言わなければならないところを、日本人はいとも簡単に省略形にしてしまう。「セクハラ」「セクハラ」と簡単に言って(言えて)しまうから、本来「セクシャル・ハラスメント」に込められている、非常に重大な人権侵害の要素が薄れてしまうのだ、というお話でした。

省略されて言葉が軽くなると、その持っている意味もまた軽くなってしまう。確かに言えますね。省略形に慣れすぎてしまうと、「ハラ」が「ハラスメント」だったということさえ忘れてしまうことにもなりかねません。特に長いカタカナ語には省略形が多く使われる傾向がありますので、気をつけたいと思います。

というより、舌を噛みそうな長い外来語は、なるべく日本語(漢字)に置き換える努力も必要ですね。社会教育の分野でも、たくさんの外来語やカタカナ語が使われるようになっています。「パネルディスカッション」とか「シンポジウム」、「ワークショップ」、「アクティビティ」、「ロールプレイ」、「ディベート」。学習方法に関連するものだけでもすぐにこれだけ挙がります。「パネルディスカッション」と「シンポジウム」は本来は異なる学習方法だったはずですが、今はその区別がほとんどされていません。なんとなく「パネルディスカッション」、なんとなく「シンポジウム」が使われています。カタカナ語にはすぐに意味がとらえにくいという点がありますので、見ただけである程度意味がわかる「漢字」に置き換えることも大切かもしれません。

言葉の軽さと言えば、「生きざま」という言葉がどうも好きになれません。もともとは「死にざま」という言葉があって、その対照として生まれたらしいのですが、「生き方」ではどうして駄目なのかな? 「生き方」に重みを持たせようとして、逆にその人の人生を軽くしてしまっているような気がするのですが。

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2 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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『死に方』 (れごまま)
2005-02-28 19:38:48
こんにちは

私の会社に中国の方がいらっしゃいます。上手に日本語を使われますが、微妙なニュアンスが今ひとつ理解できないようで、時々返答に困ることを質問されます。

以前、本の題名に『○○な死に方』というのがあって、この「方」に引っかかっていました。「方法」ではあるけれどもMethodではなくWayと説明しました。つまり死に方=生き方と説明しました。今、「死」は「生」に含まれているという考えかが希薄になっている分、「死に様」と言う言葉で表現することがそこまで生きてきた道と言う風に捉えられなくて「生き様」なる言葉が必要になったのかもしれないなぁと思いました。
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「ざま」 (yappi)
2005-02-28 22:47:04
れごままさま

いつもスルドい指摘をありがとうございます。その本って、もしかしたら文藝春秋の「理想の死に方」特集かもしれませんね。「理想の死に方」というのは「どんな風に死んでいきたいか」ということですから、その人自身の人生観や「生き方」が反映されます。確かにこの場合は、「理想の死に様」とは言えないですね。けど、「理想の生き様」でもないナーという気はします。



「死に様」にはなんとなく「死」に対する忌み的なイメージがあります。「ざま」という語感もあまり好きでないのかもしれません。
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