カクレマショウ

やっぴBLOG

「子ども」vs「子供」─大人の争い

2009-10-26 | └人権教育・学習
子ども会、子どもの権利条約、国際子ども図書館、そして、子ども手当。

「こども」を「子供」ではなくて「子ども」と表記する例が増えています。これに対して、「子ども」ではなくて「子供」とすべきだ主張する人たちもいます。たかが表記の違いではありますが、そこにこだわる人もいるのです。私は、どっちでもいいと思うのですが、最近の流れに任せて、「子ども」と書くことが多いかもしれない。

双方の言い分について、まず、「子ども」派の意見から見ていきましょう。

1950年代頃に、ある教育評論家が「子供」の「供」には「お供」とか「供え物」という意味があり、大人に対する従属を表す言葉だから使わないようにしようと言ったのが、「子ども」派の走りなのだとか。いわゆる「人権派」の人たちも、この意見に同調し、「子供」は悪いイメージの言葉だから使わないようにしよう、「子ども」と書こうと主張しています。

あるいは、「供」というのは当て字であり、漢字自体には意味がないのでひらがなにすべきだと言う人もいます。また、単純に、「子供」よりは「子ども」の方が印象が柔らかく、「こども」らしさが出るから、かな交じりを使うのだと言う人も。

こうして、ここ20年くらいの間に、じわじわと「子ども」が「子供」を席巻していくことになります。

これに対して、「子供」派の人たちは、次のように主張します。

「供」という漢字にはいろいろな意味があるが、その中にたまたま「お供する」とか「供える」という意味もあるので、「偉い人に召し使われる子ども」という誤解が生まれたものであり、ましてや「供え物」としての子どもという解釈に至っては、もしそういう意味があるとすれば、「子供」ではなくて「供子」という言葉になるはず(「供物」、「供花」のように)。たまたま接尾語としてこの漢字が当てられただけなのに、「子供」が差別的な表記だというのはおかしい。

そう言うならば、「子ども」の「ども」は、「野郎ども」、「女ども」と言う時の「ども」と同じで、侮蔑や卑下の意味が含まれている。「子ども」の方がよっぽど相手を見下した書き方ではないか。

まあ、他にもお互いの主張はいろいろあるのですが、きりがありません。

「子」の複数形を表す「こども」という言葉は、もともと、やまとことば(日本に古来あった言葉)で、「子」も「供」も当て字にしか過ぎない。そういう言葉はもちろん他にもいくらでもあります。だいたい、「訓読み」というのは、やまとことばに漢字を当てはめたものですから。

万葉集の山上憶良の歌には、「胡藤母」(こども)という表記が見られます。その後、平安時代の頃から「子共」という表記が増え、それとともに「複数」の意味が薄れてきたのだと言います。つまり、「子共たち」という言い方も出てくる。

「共」が「供」に代わったのは、近世に入ってからと言いますが、そのあたりはけっこう曖昧のようです。いったいいつ頃から、なぜ、「供」が使われるようになったのか?

ところで、「子供」が悪いイメージの言葉だから「子ども」と書きましょう、というのは、「障害者」を「障がい者」と書こうという主張とよく似ています。「害」はまるで「人に害を及ぼす人」のようなイメージがあるから、そんな漢字を使わずにひらがなとすべきだ…という。

2009年10月12日付け産経新聞のコラム「新・国語断想」で、同紙校閲部長・塩原経央氏が、「子ども、障がい者」という表記について、「漢字が悪いわけじゃない」というタイトルでおなじみの持論を展開しています。「子ども」にしても、「障がい者」にしても、「漢字隠し」をしても、問題は一つも解決しない、というわけです。

「障害」という表記は、もともとは「障碍」と書いていた。「碍(がい)」とは、「さまたげる」という意味。昭和31年の国語審議会報告で、当用漢字にない漢字の書き換えの例示の一つとして、「障害」とされたものです。あえて「害」を選ばなくても…という気はしますが、少なくとも、「人に害を及ぼす」という意味の選びからではなかったと思われます。

ただ、障害者の方の多くがこの書き方に嫌悪感を覚えるなら、それは使わない方がいいだろうと思います。ただ、私自身は、「子ども」にはあまり違和感は感じないのですが、「障がい者」には、なんだかとってつけたような印象をいつも感じています。

塩原氏は、「「障がい者」は、障害者のハンディに目隠しをする書き方であり、非障害者が障害者を見て見ぬふりをするのに都合のいい書き方とさえいえる」と言います。確かに、ひらがなに代えただけで満足している、という向きはあるのかもしれません。いっそ、「障碍者」という本来の表記に戻したらどうでしょうか。

さて、本題に話を戻します。

「子ども」vs「子供」。

最初にも書いたように、どちらの表記にも、私は別にこだわる考えはまったくありません。お互いの主張もそれぞれ面白いなと思いますが、ただ、感じるのは、大人って「こじつける」のが好きだよなあということ。この論争って、「こどもたち」にとって、本当に意味のあることなんだろうか? 双方とも、「こどもたちの人権」を盾にしているようでもありますが、それは表記方法だけの問題ではなく、むしろそれ以外のところに重要なことがあるのではないでしょうか。

「子ども」でも「子供」でも「こども」でも、書く人が書きたいように書けばいい問題のような気がします。少なくとも、一律に「子ども」もしくは「子供」でなければならない、というのには賛成できません。たとえば、作文や原稿の表記をすべて修正される、というのは、決してあってはならないことだと思っています。


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2 コメント

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Unknown (ヒッキー☆寸禅)
2009-10-27 00:54:28
「子ども」vs「子供」論争は知っていましたが、語源までは知りませんでした。勉強になります。

ちなみにこの論争で割を食うのはこどもではありません。
「子供はマズいから全部子どもに打ち変えて」と言われる僕ら広告屋さんですw
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なるほど! (やっぴ)
2009-10-30 00:07:24
ヒッキー☆寸禅さま

そういう被害もあるのですね!
ほんとに困ったもんですね。
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