先日の大阪府寝屋川市の事件など、刃物を持った凶悪事件が相次いでいることを受け、兵庫県川西市は、市内で刃物を買う人に氏名、住所、購入目的を記載した書類の販売店への提出を義務付ける条例案を市議会に提出することになったそうです。刃渡り15cm以上で先端が鋭い刃物を「包丁類」と規定するんだそうです。事件を起こした17歳の少年が使用した凶器が、自分で購入した「包丁」だったことによるものでしょう。
究極の対処療法。いや、「療法」とさえ呼べない。行政はこんなことしかできないのでしょうか。「何もやらないよりまし」という前に、こんな条例作るくらいなら、まだ何もしない方がいいのでは? 挙げ句の果て、市長の「いずれ近隣の自治体にも同様の条例を設けるよう要請したい」には開いた口がふさがらない。次はきっとアイスピックや金属バットの購入も届け出制になるのでしょう。連れ去り事件に使われるといけないから、クルマの購入も届け出が必要です。幼児虐待も多いから、子どもを生むのも届け出制にします。
いったいぜんたい、犯罪者は、「包丁」が手許にあるから犯罪を犯すのでしょうか? 別役実は、『犯罪症候群』(三省堂、1981年)で、犯罪は我々が持つ「生活感覚」の破綻であるととらえています。「生活感覚」は時代の変化に伴って少しずつ変化しながら維持されていますが、ある不可解な犯罪が起こると、その維持システムが混乱してしまう。犯罪は時代を映す鏡とはよく言われることですが、犯罪を通して、我々は犯罪を生み出した「時代の伏兵」についてじっくり考えることが求められます。それは私たちの「生活感覚」を問い直すことにつながります。「包丁が簡単に購入できること」は、少なくとも「時代の伏兵」ではありません。
いえ、「時代の伏兵」より何より、「人を殺すこと」が「理由抜きで許されないこと」であるという感覚こそ大切なのかも。そういうセンスを育てること。そう、「感覚」とは育てることができるものなのです。
究極の対処療法。いや、「療法」とさえ呼べない。行政はこんなことしかできないのでしょうか。「何もやらないよりまし」という前に、こんな条例作るくらいなら、まだ何もしない方がいいのでは? 挙げ句の果て、市長の「いずれ近隣の自治体にも同様の条例を設けるよう要請したい」には開いた口がふさがらない。次はきっとアイスピックや金属バットの購入も届け出制になるのでしょう。連れ去り事件に使われるといけないから、クルマの購入も届け出が必要です。幼児虐待も多いから、子どもを生むのも届け出制にします。
いったいぜんたい、犯罪者は、「包丁」が手許にあるから犯罪を犯すのでしょうか? 別役実は、『犯罪症候群』(三省堂、1981年)で、犯罪は我々が持つ「生活感覚」の破綻であるととらえています。「生活感覚」は時代の変化に伴って少しずつ変化しながら維持されていますが、ある不可解な犯罪が起こると、その維持システムが混乱してしまう。犯罪は時代を映す鏡とはよく言われることですが、犯罪を通して、我々は犯罪を生み出した「時代の伏兵」についてじっくり考えることが求められます。それは私たちの「生活感覚」を問い直すことにつながります。「包丁が簡単に購入できること」は、少なくとも「時代の伏兵」ではありません。
いえ、「時代の伏兵」より何より、「人を殺すこと」が「理由抜きで許されないこと」であるという感覚こそ大切なのかも。そういうセンスを育てること。そう、「感覚」とは育てることができるものなのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます