
数年おきに活動を続けている世界有数の活火山・浅間山が、昨年に引き続きまた「目覚めた」ようです。気象庁の観測によれば、今回の噴火は、熱で膨張した水蒸気が噴出して火口付近の古い溶岩などを吹き飛ばしたもので、今のところマグマそのものが噴出したわけではないとのこと。それでも、噴火の勢いで東京や房総半島にまで火山灰を降らせるとは、そのパワーはやはり並大抵のものではない。
浅間山の火山灰が歴史を動かした、という説があります。1783年の大噴火(「天明の大噴火」)の火山灰がジェット気流に乗ってヨーロッパまで達し、フランスに不作をもたらした。人々は飢え、その不満が1789年のフランス革命の要因となった、というものです。実は同じ年にアイスランドのラキ火山(ラガギカル)も大噴火しており、フランスの不作の原因はこちらの火山灰の影響のほうが強かったらしい。いずれにしても、地球規模の自然変動が歴史を変えることがあるという証左としてよく引き合いに出されますね。
「天明の大噴火」では、大量の溶岩流(「鬼押し出し」と呼ばれた)と火砕流が発生し、浅間山北麓の村をほぼ壊滅させています。死者は1,500人にものぼると言われます。そのすさまじさは、池澤夏樹の『真昼のプリニウス』という小説の中で実にリアルに描かれています。
主人公・芳村頼子は、30代前後の火山学者。都内の大学に籍を置きながら、浅間山をフィールドに実地調査をしている。ある時、彼女は、天明の大噴火を体験したハツという女性の残した記録を読む機会を得る。
─そのうちに、今度は遠い地鳴りではなく、もっと近いところかが全体に騒がしくなりました。人の声や獣のたてる音ではなく、どちらかというと雪解けで土手一杯に増水した川の激しい流れのような、それでいてもっと重々しくおそろしい音でした。それはたちまちに迫ってきて、それが本当にここへ来たのならもうその時こそわたしたちはおしまいなのだと、その場にいる全員に思わせるようなすさまじい音で、それをわたしは必死になって身が震えるのをおさえながら、聞いていました。空気はなんだか酸っぱいような匂いで一杯で、目は涙でかすみ、身体中が砂や灰にまみれて、もう汗をかくほど暑いのかぞくぞくするほど寒いのかもわからず、すぎてゆく時間の中で何かが起こってその恐ろしい状態に終わりが来るのを待っているだけでした。─
「お山」の怒りの様子を、ハツは具体的かつ克明に記していました。頼子はそのことに感心する一方で、火山の研究をしていながら、今ひとつ物足りなさを感じている自分に気づく。ひょんなことから知り合った占い師から、浅間山の噴火が近いとほのめかされた頼子は、憑かれるように浅間山に一人登っていく…。
ハツの記録の中で、彼女があまりの恐ろしさに、一切を超越した境地に達したような記述があって、とても興味深い。「お山」から火砕流がこちらに迫ってくるのを見たハツは、こんなふうに記しています。
─あれなんだ、あれで全部終わるんだ。わたしたちはもうすぐあの白い雲に巻き込まれてすっかり燃えてしまい、お山の中に吸い込まれて地面の一部になるんだ、そうして地表のものを一度はすべて土と岩に返すのがこのお山のやっていることで、だから人はもちろんキツネやイノシシやオオカミもみんな、木も草も、桑と芋の畑も、みんな一度はあの熱い雲の中をくぐることになるんだと、そんな風に一瞬、思ったのです。─
─弟や妹が泣いていることにも何の意味もなく、父があれっきり帰ってこないことにも何の意味もなく、母が何か口の中で必死に呟きながら半分はすすり泣いていることにも何の意味もなく、知っているただ一つの短い経文を祖父が繰り返し唱えていることにさえ一切意味はないのだ、ただわたしたちはあの白い雲が途中の大岩や石や砂や泥をぜんぶ巻き込んで来るのを待っているだけなのだという思いがずっとわたしの心を領しておりました。─
すさまじい天変地異に遭遇すると、人間はいやでも自分の小ささを感じざるを得ない。そして、ハツのように、一種、悟りの境地に至るのでしょうか。
さて、この本のタイトルにある「プリニウス」とは、全37巻の大著『博物誌』を著した古代ローマの博物学者の名前です。元老院議員で政治家だった息子(養子)と区別するため、「大プリニウス」とも呼ばれます。
大プリニウスは、地中海方面の海軍司令官として南イタリアを航行中、ヴェスヴィオス火山の噴火に遭遇します(79年)。そうです、あのポンペイの街を埋もれさせた大噴火。一説によれば、逃げ遅れた人々を救うために近くまで船を進めたものの、彼自身が有毒ガスに巻き込まれて死んでしまったとされています。もっとも、これは小プリニウスが父を功績を称えるために記録した文章によるもので、どこまでほんとかはわかりません。単に噴火を近くで見たかったから近づいたんだという人もいます。でも、「自己犠牲」の好例としてしばしば取り上げられる逸話ではあります。
頼子は、「自己犠牲」云々よりも、プリニウスの「好奇心」の方により惹かれています。危険だとわかっていても、より近くで噴火を感じたい、自然のパワーをこの身で感じたいという気持ちには勝てなかったプリニウス。彼女が標高2,568mの「お山」の頂上に立った時も、きっと同じ心境だったにちがいありません。「お山」に何が起きるのか、そして、それを目撃する自分自身に何が起きるのかを確かめたいという気持ち。ハツのように、恐怖を超越して、「すべてを受け入れる」心境になれるのか。
ずいぶんはしょった紹介になりましたが、『真昼のプリニウス』では、頼子が浅間山に登るまでには、「門田」という男との出会いや、メキシコで遺跡の写真を撮っている恋人からの手紙など、印象深いプロットがいくつも積み重ねられています。
今や、日本の火山研究は世界の最先端を走っています。科学の力で自然のパワーを予め「知る」こともできます。もちろん「抑える」ことはできませんが、被害を最小限にするための手だてはもちろん研究されているのでしょう。
「お山」の目覚めは、しばらく続きそうですね。
『真昼のプリニウス』≫Amazon.co.jp
浅間山の火山灰が歴史を動かした、という説があります。1783年の大噴火(「天明の大噴火」)の火山灰がジェット気流に乗ってヨーロッパまで達し、フランスに不作をもたらした。人々は飢え、その不満が1789年のフランス革命の要因となった、というものです。実は同じ年にアイスランドのラキ火山(ラガギカル)も大噴火しており、フランスの不作の原因はこちらの火山灰の影響のほうが強かったらしい。いずれにしても、地球規模の自然変動が歴史を変えることがあるという証左としてよく引き合いに出されますね。
「天明の大噴火」では、大量の溶岩流(「鬼押し出し」と呼ばれた)と火砕流が発生し、浅間山北麓の村をほぼ壊滅させています。死者は1,500人にものぼると言われます。そのすさまじさは、池澤夏樹の『真昼のプリニウス』という小説の中で実にリアルに描かれています。
主人公・芳村頼子は、30代前後の火山学者。都内の大学に籍を置きながら、浅間山をフィールドに実地調査をしている。ある時、彼女は、天明の大噴火を体験したハツという女性の残した記録を読む機会を得る。
─そのうちに、今度は遠い地鳴りではなく、もっと近いところかが全体に騒がしくなりました。人の声や獣のたてる音ではなく、どちらかというと雪解けで土手一杯に増水した川の激しい流れのような、それでいてもっと重々しくおそろしい音でした。それはたちまちに迫ってきて、それが本当にここへ来たのならもうその時こそわたしたちはおしまいなのだと、その場にいる全員に思わせるようなすさまじい音で、それをわたしは必死になって身が震えるのをおさえながら、聞いていました。空気はなんだか酸っぱいような匂いで一杯で、目は涙でかすみ、身体中が砂や灰にまみれて、もう汗をかくほど暑いのかぞくぞくするほど寒いのかもわからず、すぎてゆく時間の中で何かが起こってその恐ろしい状態に終わりが来るのを待っているだけでした。─
「お山」の怒りの様子を、ハツは具体的かつ克明に記していました。頼子はそのことに感心する一方で、火山の研究をしていながら、今ひとつ物足りなさを感じている自分に気づく。ひょんなことから知り合った占い師から、浅間山の噴火が近いとほのめかされた頼子は、憑かれるように浅間山に一人登っていく…。
ハツの記録の中で、彼女があまりの恐ろしさに、一切を超越した境地に達したような記述があって、とても興味深い。「お山」から火砕流がこちらに迫ってくるのを見たハツは、こんなふうに記しています。
─あれなんだ、あれで全部終わるんだ。わたしたちはもうすぐあの白い雲に巻き込まれてすっかり燃えてしまい、お山の中に吸い込まれて地面の一部になるんだ、そうして地表のものを一度はすべて土と岩に返すのがこのお山のやっていることで、だから人はもちろんキツネやイノシシやオオカミもみんな、木も草も、桑と芋の畑も、みんな一度はあの熱い雲の中をくぐることになるんだと、そんな風に一瞬、思ったのです。─
─弟や妹が泣いていることにも何の意味もなく、父があれっきり帰ってこないことにも何の意味もなく、母が何か口の中で必死に呟きながら半分はすすり泣いていることにも何の意味もなく、知っているただ一つの短い経文を祖父が繰り返し唱えていることにさえ一切意味はないのだ、ただわたしたちはあの白い雲が途中の大岩や石や砂や泥をぜんぶ巻き込んで来るのを待っているだけなのだという思いがずっとわたしの心を領しておりました。─
すさまじい天変地異に遭遇すると、人間はいやでも自分の小ささを感じざるを得ない。そして、ハツのように、一種、悟りの境地に至るのでしょうか。
さて、この本のタイトルにある「プリニウス」とは、全37巻の大著『博物誌』を著した古代ローマの博物学者の名前です。元老院議員で政治家だった息子(養子)と区別するため、「大プリニウス」とも呼ばれます。
大プリニウスは、地中海方面の海軍司令官として南イタリアを航行中、ヴェスヴィオス火山の噴火に遭遇します(79年)。そうです、あのポンペイの街を埋もれさせた大噴火。一説によれば、逃げ遅れた人々を救うために近くまで船を進めたものの、彼自身が有毒ガスに巻き込まれて死んでしまったとされています。もっとも、これは小プリニウスが父を功績を称えるために記録した文章によるもので、どこまでほんとかはわかりません。単に噴火を近くで見たかったから近づいたんだという人もいます。でも、「自己犠牲」の好例としてしばしば取り上げられる逸話ではあります。
頼子は、「自己犠牲」云々よりも、プリニウスの「好奇心」の方により惹かれています。危険だとわかっていても、より近くで噴火を感じたい、自然のパワーをこの身で感じたいという気持ちには勝てなかったプリニウス。彼女が標高2,568mの「お山」の頂上に立った時も、きっと同じ心境だったにちがいありません。「お山」に何が起きるのか、そして、それを目撃する自分自身に何が起きるのかを確かめたいという気持ち。ハツのように、恐怖を超越して、「すべてを受け入れる」心境になれるのか。
ずいぶんはしょった紹介になりましたが、『真昼のプリニウス』では、頼子が浅間山に登るまでには、「門田」という男との出会いや、メキシコで遺跡の写真を撮っている恋人からの手紙など、印象深いプロットがいくつも積み重ねられています。
今や、日本の火山研究は世界の最先端を走っています。科学の力で自然のパワーを予め「知る」こともできます。もちろん「抑える」ことはできませんが、被害を最小限にするための手だてはもちろん研究されているのでしょう。
「お山」の目覚めは、しばらく続きそうですね。
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