カクレマショウ

やっぴBLOG

「見ること」は「知ること」。「知ること」は「背負うこと」。

2013-03-10 | ■環境/科学
野口健さんの講演会に行ってきました。

彼のスポンサーでもあるコスモ石油が展開している「コスモ・アース・コンシャス・アクト」の一環として行われたものです。休憩なしで2時間40分。時折テレビのバラエティなんかで見るおちゃらけぶりも垣間見せながら、野口健さんの活動に対する真剣な思いが十分伝わってくる、いい講演会でした。



野口さんは、史上最年少で世界七大陸最高峰を制覇(当時)、エベレストには2回も登頂を果たしているれっきとしたアルピニスト。そういえば、野口さんの本持っていたなーと思い出し、帰ってから本棚を探してみたら、「落ちこぼれてエベレスト」という文庫本が出てきました。確か数年前に出張の際に東京駅の本屋で何気なく買って新幹線の中で読もうと思いながら読まないままに本棚に収まっていたらしい。すっかり忘れていました。改めてページをめくってみると、今日話していたエベレスト登頂のすさまじい体験が書かれていました。

彼がアルピニストを目指すようになったのは、高校時代に読んだ植村直己の本がきっかけだと言います。そのあたりのいきさつも、この本の中に生き生きと描かれています。「落ちこぼれ」だった野口少年が、植村直己に憧れ、彼と同じようにモンブラン、キリマンジャロと順番に登頂を果たしていく。しかもそれを高校時代にやってのけるところがただものではありませんね。

本棚から、その植村直己の「極北に駆ける」も見つけました。かれこれ30年も前に読んだ本です。植村直己には、若いころ私もずいぶん憧れたものでした。実際に山登りしたり、極地を探検したいとは思いませんでしたけどね…。

野口さんが、エベレスト登頂後、「清掃登山」に力を注ぐようになったことは広く知られています。エベレストの清掃を始めた理由は、ある外国の登山家に「日本人の登山家はマナーが悪い」と言われたのがきっかけだという。登山の際に使ったテントや備品、余った食料などをそのまま置いてくるのは、何も日本人だけではないのですが、野口さんはその言葉に憤然とする。じゃ、日本人の俺が、誰かが捨てていったゴミを片付けてやろうじゃないか。そんなことをする登山隊はどこの国にもいないだろうと。

こういう動機って、いいですよね。講演でも言っていましたが、彼は「環境問題」とか「自然保護」とか、そういうのに興味はないという。むしろそういう活動をしている人たちとは距離を置きたいという考えのようです。お題目から入るのではなく、自分はあくまで登山家で、何度もエベレストに来ている。そこをきれいにしておきたいという思いがある。ひいては日本人がそういう活動をしていることをアピールしたい、そういう思いが彼を清掃登山に駆り立てている。

富士山の清掃活動も全く同じです。彼は別に富士山を愛しているわけではないという。ただ、やはり外国の人から世界で一番汚い山と言われるのがいやだから、ゴミを片付けているだけ。

彼の話を聞いてみて、この人は自分の気持ちに純粋な人なんだと思いました。彼が何より大切にしているのは「現地主義」。現場に足を運んで、何が起こっているのか自分の目で「見る」ことが大事。見ることは「知る」ことにつながり、知ることは「背負う」ことになる。つまり、そこで何が起きているかを知ったからには、もう知らんぷりはできないということですね。自分で何ができるかを考え、行動に移さなければならない。野口さんの活動のすべては、その原理に基づいているように思えます。東日本大震災の時も、まず現地に赴き、夜の寒さと寝具不足の現実を知った上で、「寝袋」を被災地に送る活動を起こしています。

「見ること」は「知ること」。「知ること」は「背負うこと」。いい言葉ですね。肝に銘じたいと思います。

「落ちこぼれてエベレスト」≫amazon

最新の画像もっと見る

コメントを投稿