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カクレマショウ

やっぴBLOG

「餅とあんこ」から「連帯の技術」へ

2009-02-04 | └キャリア教育
「比喩」を使いたがる人ってけっこういますよね。ただ、比喩があまりにも自分勝手過ぎて、ほかの人にはまったく意味が通らない比喩を使っては悦に入っている人も、中にはいる。(…私の職場にもいます…はい。)

その点、内田樹のたとえ話は、腑に落ちるものばかりで、こういうふうに比喩を使えばいいんだ!と勉強になります。勉強になったからといって、彼のように使いこなすことは到底できませんが。

内田樹『街場の教育論』にもそんな比喩が至るところに出てきます。比喩というより、具体例の挙げ方が意表を衝いているといった方がいいかも。たとえばこんな感じ。

「100万円の原資がある。これをどう使うかの最適解を求めて連日議論しているうちに、会議の弁当代で100万円使い切ってしまった。これが教育の現状です。」

あるいは、キャリア教育に関連して、「モジュール化された仕事」を説明する際に、「餅とあんこ」にたとえる。二人で団子を作っている。モジュール化して、一人は餅を、もう一人はあんこを作ることにした。お互いに干渉せずに好きなように作ると、効率は上がるが、その代わり、「つぶあん」を「こしあん」にするとか、餅ではなくてクレープで巻いてみるといった新しい提言をするのはむずかしい。「いちご大福」といった「ハイブリッド商品」を開発することもできない。つまり、モジュール化された仕事には限界があるということ。このあたりのたとえも、実にうまいと思う。

この本は、2007年度の神戸女学院大学大学院の「比較文化・文学」での講義録を編集したもの。その「教育論」は非常にシンプルだけど、視点がたいそうおもしろい。第1講「教育論の落とし穴」にはじまり、第2講「教育はビジネスではない」、第5講「コミュニケーションの教育」、第7講「踊れ、踊り続けよ」、第8講「「いじめ」の構造」などと続き、、最後の第11講「宗教教育は可能か」まで、どのページから読み始めてもすんなり読み進めることができます。

第9講は「反キャリア論」。挑戦的なタイトルではありますが、内田氏はキャリア教育なんかなくてもいい、とまでは言っていません。ただ、現在のキャリア教育が目的とするもの、あるいはそのための手段として種々行われていることに対しては、非常に懐疑的です。

たとえば、私のブログでも紹介したことのある、「フリーターと正社員の生涯賃金の比較」を得意とする方についても、「自己実現の成否は要するに「生涯にいくら稼ぐか」で決められるという国策イデオロギーがここでもまた無反省に繰り返されている」として、「深い徒労感に襲われ」る。

内田氏は、キャリア教育を、「働くモチベーション」を鼓吹するための教育とした上で、根本の問題として、「勉強のモチベーション」と「労働のモチベーション」がまったく別のものであるという点を挙げています。つまり、学生たちは、これまで「受験」の中で、努力すれば報われるものだと思ってきた。ところが、就職活動で初めて「努力と成果が相関しない」経験をする。それは、就職の採否の条件が、受験と違って、「個人の能力の格付け」でないからである。そのことに学生はとまどってしまう。

ただ、それは実は当然のことで、「社会的活動というのは「協働」であって「競争」ではない」のです。だから、就職試験では、個人の能力よりも、協調性が重視される。このことについても、内田氏は絶妙なたとえを引いてくれます。

「ヤマダくんはある教科でいつも100点をとる。スズキくんは80点しかとれない。でも、0点ばかりとっている隣のサトウくんを気の毒に思って、やり方を教えたので、サトウくんは30点がとれるようになった。100点のヤマダくんが80点のスズキくんより高い評価を受けるのは、受験では当たり前のことです。でも、労働の場では違います。労働の場ではスズキくんの点数には、「彼の支援でパフォーマンスが上がった人の点数」が加算される。だからスズキくんはヤマダくんより上位に格付けされる。」

とこんな感じ。社会人なら、こういうことはすぐに思い当たりますが、受験という競争世界しか知らない学生には、このことがなかなか理解できないのですね。

で、内田氏は言う。にもかかわらず、文部科学省や産業界が考えているキャリア教育は、相変わらず「個人の付加価値をどこまで高めるか」ということを目的としていると。そうか。そういうことか。文部科学省が掲げている「キャリア教育で身につけさせたい能力」って、考えてみればみんな「個人の能力」だもんなあ。それは、「勉強のモチベーション」を高めることを至上命令とする文部科学省的には正しいのかもしれませんが、それだけでは「労働のモチベーション」を高めるところまで至らないのですね。

先ほど紹介した「餅とあんこ」のようなモジュール化された労働なら、個人の能力が高ければ高いほど効率は上がるでしょう。でもそれでは新たなビジネスチャンスは生まれないし、結局、自分には「あんこづくり」は合わないとか言って、すぐに離職する人間を増やしてしまうことにもつながる。(個人の能力を高めることを目指した)キャリア教育をいくら進めても、離退職者は減らないという皮肉。

内田氏は、もし本気でキャリア教育を進めようとするなら、「仲間を作る能力の開発」をするべきだと言います。かつては(内田氏が若かりし頃には)当たり前だった「互助的なふるまい」、「お互いさま」という考え方、そして「連帯する技術」。それらは、「でたらめな豊かさを謳歌した80~90年代に根こそぎ失われてしまった」けれど、いま、キャリア教育という名のもとにそれらを取り戻そうということです。

最後に、内田氏は、企業経営者や政治家に苦言を呈しています。「働くモチベーション」が低いことを大学だけのせいにしないでほしいと。「日本人が寄ってたかって「そういう子どもたち」をつくり出したのだから、政治家も企業経営者も自分の「割り前」は自分で負担していただきたい」と。

ま、これは確かにそのとおりではありますが、最初から喧嘩腰ではなく、お互いに目的を共有して、それに向かって「何ができるのか」ということを同じテーブルで議論することから始めなければならないのでは、と思います。

この本から学んだことはまだまだたくさんあります。いずれ、折に触れて紹介したいと思っています。

『街場の教育論』≫Amazon.co.jp


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3 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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喧嘩腰になるのは (中野一人)
2009-02-05 09:46:11
いつも楽しく拝見しております。
本日のブログ、大変参考になりました。要点を的確に抽出して膨大な作者の意見を分かり易く伝えていると思います。
作者の意見が喧嘩腰に感じられるのは、管理人様が言われる立場にいるか(笑)、話し合いと言う慣れ合いを期待しているからではないか、と考えます。
最近は打合せの為の打合せが多すぎと思いませんか?作者は一つの答えを出しているのです。それをばらして再構築するという「議論」と言う作業は無駄とは思いませんか?
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何をするかという打合せ (やっぴ)
2009-02-06 00:53:13
中野さん

コメントありがとうございました。

なるほどと思いました。実は「議論」という言葉は、迷った末につい使ってしまったものでした。ここは、「打合せのための打合せ」という意味の無駄な議論ではなく、「これからお互いに何をやるのか/何をやらないのか」を確認するための打合せ、という意味でした。同じ目的に向かうことを確認した上で、お互いの「持ち味」を出していくためには、それは不可欠ではないのかと思うのですが、いかがでしょうか?
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この場合の持ち味とは (中野一人)
2009-02-06 17:40:22
 誰がやるかは持ち味ではなく能力、人選と言う事で理解してよろしいでしょうか?
 これは出来そう、これは管轄外などと言いつつ結果、総論賛成各論反対よって本件は廃案ってパターンが最近は日常化している気がしますよね。
 ええ、気持ちの問題です。実際に測定はしたこと有りません。
 皆さん色々な立場を考慮してご苦労されている事はよく理解しているつもりです。でも、本当はやらなくても良い仕事をしている時もあるんじゃないかな、と思っただけです。
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