![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/02/211ba767b3a3e9ad6d18b2ca9ee2d25b.jpg)
通天閣の名物、「ビリケン」さん。とにかく幸運をもたらしてくれるという神様。奇妙な名前。風変わりな顔と子どものようなあの座り方。説明書きを読むと、ビリケンとは、米国生まれの神様だという。1908(明治41)年、アメリカの女流美術家E.I.ホースマンが、夢で見たユニークな神様をモデルに制作したものと伝えられている。ユーモラスな姿をした「幸福のマスコット」、「福の神」はたちまち人気を集め、世界中に大流行した…のだとか。
ただし、いろいろ調べてみると、通天閣の公式サイトにも載っている「女流美術家E.I.ホースマン」という名前は誤りで、「フローレンス・プリッツ」という名前が正しいらしい。E.I.ホースマンというのは、ビリケン人形を販売した会社の名称だという。なかなかのいい加減さですね。よく見ると、通天閣の説明文にも"HORSMA"(「ホースマ」)と書かれてあったりします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/6b/529cbe1a320e3fde255123b465cf9584.jpg)
それにしても、「キャベツ人形」もそうでしたが、決して一般受けはしないような顔がヒットするというのはよくあることなのか。ビリケンって、なんか髪型も辮髪風で、中国っぽいよなあと思っていたら、先ほどのサイトにも、ビリケンに「シノワズリ(仏 chinoiserie)」の影響を見る人もいると書いてありました。シノワズリとは、ヨーロッパの陶磁器や建築様式などに見られる「中国趣味」を指しますが、日本趣味(ジャポニズム)といい、極東の美術様式からヨーロッパ人はいろんな「趣味」を取り入れたようで。
もちろん日本にも「ビリケンブーム」はやってきました。いちはやく取り入れたのは大阪でした。初代通天閣と同時にオープンした遊園地「ルナパーク」(「月の園」)には、「ビリケン堂」があって、御神体のビリケン像が安置されていたと言います。七福神にビリケンを加えて、「八福神」とまで言われたそうです。首相のあだ名にまでなっています。第18代内閣総理大臣、寺内正毅(任期:1916(大正5)年-1918(大正7)年)。目が吊り上ってて、尖った禿頭なので「ビリケン宰相」…。かわいそうな気もしないでもない。ただ、彼の内閣には政党から誰も入閣していなかったので、「非立憲」内閣と呼ばれており、この「ひりっけん」と掛けたあだ名でもあるらしい。
日本の首相のあだ名にもなったビリケンですが、その名前のルーツはなんと米国大統領にあるという。ビリーというのは”Billy"というのは、”William”という名前の愛称。これは、第27代大統領ウィリアム・ハワード・タフト(任期:1909-1913年)に由来するというのです。でも、プリッツ女史が夢に見たのは1908年で、まだセオドア・ルーズベルト大統領の時代なので、これもなんだかまゆつばっぽい。
それはともかく、こうして、ビリケンは「新世界」名物として一躍有名となっていきます。ビリケンまんじゅうにビリケン人形、ビリケンストラップ(これはないか!)…、ビリケンの名を冠した土産物もさかんにつくられました。ところが、1923(大正12)年にルナパークが経営不振で閉園すると、ビリケン像はそのどさくさの中で行方知れずになってしまうのでした…。
ビリケンが復活したのは、それから半世紀後のこと。1979(昭和54)年、ナニワ文化のシンボル、ビリケン像が再び姿を現しました。通天閣の説明書には、「(行方不明になってい)元の像を探し出し云々」とありますが、それはビリケン復活を印象づけるための方便でしょう。実際には、とあるところに保管されていたビリケン像の写真をもとに、安藤新平さんという彫刻家が新たに製作しました。現在通天閣に鎮座しているのがそれです。足に触るとご利益があるとかで、木彫の右足の裏はすっかりすり減っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/c5/2a18fe109bc5197d4e645095a43a90b8.jpg)
ビリケンの生まれ故郷、米国でも、セント・ルイス大学がビリケンをマスコットにしているとかで、海の向こうでも、いまだにラッキーマスコット、ビリケンは健在のようです。決して、単なる一時のブームに終わらないビリケンさん。確かに、じーっと顔を見ていると、「ええよええよ」と何でも願いをかなえてくれそうな気がしてきます。
ただし、いろいろ調べてみると、通天閣の公式サイトにも載っている「女流美術家E.I.ホースマン」という名前は誤りで、「フローレンス・プリッツ」という名前が正しいらしい。E.I.ホースマンというのは、ビリケン人形を販売した会社の名称だという。なかなかのいい加減さですね。よく見ると、通天閣の説明文にも"HORSMA"(「ホースマ」)と書かれてあったりします。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/6b/529cbe1a320e3fde255123b465cf9584.jpg)
それにしても、「キャベツ人形」もそうでしたが、決して一般受けはしないような顔がヒットするというのはよくあることなのか。ビリケンって、なんか髪型も辮髪風で、中国っぽいよなあと思っていたら、先ほどのサイトにも、ビリケンに「シノワズリ(仏 chinoiserie)」の影響を見る人もいると書いてありました。シノワズリとは、ヨーロッパの陶磁器や建築様式などに見られる「中国趣味」を指しますが、日本趣味(ジャポニズム)といい、極東の美術様式からヨーロッパ人はいろんな「趣味」を取り入れたようで。
もちろん日本にも「ビリケンブーム」はやってきました。いちはやく取り入れたのは大阪でした。初代通天閣と同時にオープンした遊園地「ルナパーク」(「月の園」)には、「ビリケン堂」があって、御神体のビリケン像が安置されていたと言います。七福神にビリケンを加えて、「八福神」とまで言われたそうです。首相のあだ名にまでなっています。第18代内閣総理大臣、寺内正毅(任期:1916(大正5)年-1918(大正7)年)。目が吊り上ってて、尖った禿頭なので「ビリケン宰相」…。かわいそうな気もしないでもない。ただ、彼の内閣には政党から誰も入閣していなかったので、「非立憲」内閣と呼ばれており、この「ひりっけん」と掛けたあだ名でもあるらしい。
日本の首相のあだ名にもなったビリケンですが、その名前のルーツはなんと米国大統領にあるという。ビリーというのは”Billy"というのは、”William”という名前の愛称。これは、第27代大統領ウィリアム・ハワード・タフト(任期:1909-1913年)に由来するというのです。でも、プリッツ女史が夢に見たのは1908年で、まだセオドア・ルーズベルト大統領の時代なので、これもなんだかまゆつばっぽい。
それはともかく、こうして、ビリケンは「新世界」名物として一躍有名となっていきます。ビリケンまんじゅうにビリケン人形、ビリケンストラップ(これはないか!)…、ビリケンの名を冠した土産物もさかんにつくられました。ところが、1923(大正12)年にルナパークが経営不振で閉園すると、ビリケン像はそのどさくさの中で行方知れずになってしまうのでした…。
ビリケンが復活したのは、それから半世紀後のこと。1979(昭和54)年、ナニワ文化のシンボル、ビリケン像が再び姿を現しました。通天閣の説明書には、「(行方不明になってい)元の像を探し出し云々」とありますが、それはビリケン復活を印象づけるための方便でしょう。実際には、とあるところに保管されていたビリケン像の写真をもとに、安藤新平さんという彫刻家が新たに製作しました。現在通天閣に鎮座しているのがそれです。足に触るとご利益があるとかで、木彫の右足の裏はすっかりすり減っていました。
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ビリケンの生まれ故郷、米国でも、セント・ルイス大学がビリケンをマスコットにしているとかで、海の向こうでも、いまだにラッキーマスコット、ビリケンは健在のようです。決して、単なる一時のブームに終わらないビリケンさん。確かに、じーっと顔を見ていると、「ええよええよ」と何でも願いをかなえてくれそうな気がしてきます。
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