カクレマショウ

やっぴBLOG

どうするの?子どもたちの「土曜日」。

2010-05-18 | ■教育
私たちが子どもの頃は、土曜日はお昼で学校も終わって、午後はのんびり友だちと道草しながら帰るのが楽しかった。明日は日曜日だし、夜はドリフが入るし…。懐かしいですね~、あの開放感。

いつのまにか(ではないけれど、なんとなくいつのまにか)、土曜日も学校が休みになって、そんな楽しみもなくなって、子どもたちの週休2日は当たり前になってしまいました。

「いつのまにか」と感じるのは、日本では学校週5日制の導入が、ジワジワと段階を踏んで実施されたからだと思います。初めて学校週5日制が行われたのは、1992年(平成4年)9月からですが、最初は月1回だけ(毎月第2土曜日)でした。3年後の1995年(平成7年)4月からは、第4土曜日も休業日となり、月2回となる。

それから7年たって、「隔週の土曜日休み」にも慣れてきた頃。2002年(平成14年)から、いよいよ完全学校週5日制が始まりました。この時には、「学校教育法施行規則」も改定されて、法的にも土曜日は学校休業日になったのでした。

考えてみれば、完全学校週5日制になってから、まだ8年しかたってないのですね。今の高校3年生が小学校低学年の頃は、まだ2週間に1ぺんは土曜日の授業もあったのです。

ここ数年、ゆとり教育の「弊害」やら学力低下が叫ばれるようになって、最近では、土曜日に授業を復活する学校が増えているのだとか。東京都の小中学校では、今年の1月から、月2回までに限って土曜授業を認められているという。授業時数の確保に苦しんで、行事をなくする学校もあると聞きますが、土曜日の午前中に授業時間を確保することで、行事も残せるというわけでしょうか。

2010年5月15日付け朝日新聞で、「土曜授業の復活」というテーマで、「百ます計算」で知られる陰山英男氏と、東大の本田由紀氏が興味深い論争を展開しています。陰山氏が反対、本田氏が賛成の立場。

陰山氏は、安倍政権時代の教育再生会議の委員を務めていた頃から、「土曜授業復活」には反対を唱えていた人。それは、「教師の際限ない働き方にお墨付きを与えてしまうことになる」と考えたからだという。子どものためならと家にまで仕事を持ち帰るような働き方は、教師をだめにするということですね。そういう教師は、土曜授業が復活しても、「まだ時間が足りない」と言うでしょう、というのは、もっともな話です。授業の仕方を工夫して、合理的に「脳を上手に使いこなすトレーニング」をするようにしない限り、土曜授業を復活しても学力は上がらないというのが陰山氏の考えです。

一方、本田氏は、土曜日が休みになったことで、教育格差が広がっていることを懸念する。つまり、経済的余裕のある家庭は、土曜日に子どもを塾や習い事に通わせることができるが、収入格差が広がる中で、ますます教育の機会均等が崩れてしまっているということ。低所得者にとって、土曜授業は「子どもが面白いと感じ、将来の生活の力となる充実した高い質の教育を施す場としてなら」、意義があるという。

「学力低下」についても本田氏は触れざるを得ない。PISAの結果を分析しながら、日本の子どもたちに基礎的な学力を身につけさせるために、「ある程度の授業時間」が必要ならば、土曜日を有効活用するという選択はあり得る、というわけです。

教員の負担については、陰山氏がこれ以上教員を増やすのは財政上無理だとして、土曜日の勤務の埋め合わせは、結局現場にしわ寄せが行くだけと言っていますが、本田氏は、教員を大幅に増やすべきだとし、保護者の学校への期待に応えるのが政府の責任だとします。

また、本田氏は、学校週5日制の導入とともに、家庭教育の重要性が強調されてきたことにも触れています。家庭教育が大事だと言われれば言われるほど、結局はプレッシャーを与えられているのは母親であり、しかも、それに答えられるのは、「教育熱心で金銭や時間など諸資源に余裕のある母親だけ」だと言う。これ以上、家庭(母親)に負担を強いてはいけない、というのは、本田氏自身が共働きの母親であることからの発言でしょうね。

「学力」と「教員の負担」については、お二人は、真っ向から対立する考えを持っています。本田氏の言う「教育格差」についても、陰山氏は、それは「大都市特有の問題」だと言う。「地域の実情に応じて、各自治体や学校が個別に工夫するのはいいとしても、それを日本全体に広げて、一律に土曜授業を実施すること」に陰山氏は「大きな危険」すら感じている。この点は、私も陰山氏の考えに賛成ですね。もう、何でも「全国一律に」という時代でもないし、各地域がそれぞれに工夫して「基礎学力」とやらを身につけさせるように努力すれば、PISAの点数だって上がるはず。東京都のように、土曜授業が必要だと考える自治体は、そうすればいいだけの話でしゃないでしょうか。

それにしても。

お二人の論争では一言も触れられていませんが、元々、学校週5日制は、何のためだったのか。実は、「子どもたちに『ゆとり』を確保する中で、学校・家庭・地域社会が相互に連携しつつ、子どもたちに生活体験、社会体験や自然体験など様々な活動を経験させ、自ら学び自ら考える力や豊かな人間性などの『生きる力』を育むため」に実施されたものであることをもう一度思い起こしたいものです。

「生きる力」って、決して「基礎的な学力」だけを指すわけではないし、「学び方を学ぶ」ことも大事だし、「豊かな人間性」ももっと大事な要素です。そのために、子どもたちにはいろんな体験をさせましょう、そのために土曜日を休みにします、という趣旨だったはずです。ところが、実際には、その「受け皿」の準備が整っていなかった。社会教育こそ、この時に頑張らなければならなかったのです。土曜日に、学校でも家庭でもない場所で、学校でも家庭でもできないような体験活動に、子どもたちが思い思いに挑戦する。そういう図式を描けずに来てしまった社会教育の責任は大きい。

今からでも遅くはないと思います。「学校で授業を受ける」以外の選択肢も含めて、土曜日の子どもたちの過ごし方を、大人が本気で考えてみることが必要ではないでしょうか。


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3 コメント

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初めまして (tiko)
2010-05-22 23:28:20
はじめまして。
ゆくゆくは世界史の教員を目指している大学4年生です。

課題で、宗教改革辺りの指導案を作る際、「楽しい世界史」のページを発見してからというもの、ゆっくりと読み進めています。
「そうだったのか!」と思うことがたくさんあり、勉強になって、ありがたいです。

その中で、「中世イングランドの森」がリンクエラーになっていたので、もしよろしければ、読める様にしていただけると嬉しいです。



週5日制について、
社会教育の受け皿が整っていなかった、という部分に納得しました。
私は幸運にも親自身が体験的活動好きで色々な所に連れて行ってくれており、今はそれにかなり感謝していますが、一方で学校や社会が積極的にそのような活動を知らせてくれたり、斡旋してくれて何かをした、というのは少なかった気がします。
授業時間を減らし、総合的な学習でも「生きる力」を重視したにもかかわらず、より一層「生きる力」が叫ばれているような気がするのは、もはやそれが学校教育だけの問題ではなく、社会ぐるみで子供を育てるためのネットワークをいかに作るかも必要なのだ、と考えさせられました。
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ありがとうございます。 (やっぴ)
2010-05-24 08:42:00
tikoさま

そうですね。「生きる力」は学校教育だけで養われるものではありませんね。親御さんからの働きかけがあって(tikoさんのように)、地域の皆さんからの支援があって、そして、教員からの様々な指導があって、初めて培われるものですね。これから教員を目指されるということですが、そういう点をちゃんと理解していらっしゃるのはとても心強い限りです。

しかも、世界史の教員ですか…。うらやましいです。

「中世イングランドの森」のリンクというのは、「ロビンフッド」のページからですね。うっかりしておりました。実は、これまで何度も更新しているうちに、「中世イングランドの森」のページがどこに行ってしまったのか、わからなくなってしまいました。探し出したら修正しておきます。すみません。
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お返事ありがとうございます (tiko)
2010-05-25 00:07:32
なるほど、ロビンフッドのお話だったのですね。たくさんページがあるので、管理・更新が大変だと思います。見つかりましたら、よろしくお願いします。

うらやましい、とは・・・、好きなのですね。
私も、君に世界史の教員など勿体ない、とは言わせないような教員になりたいです。
これからも色んな事を吸収していきたいです。

ありがとうございました。
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