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村上春樹『象の消滅』─20年の時の流れ

2005-04-12 | ■本
ちょっと勘違いをしていたらしく、村上春樹が米国で出した短編集を「再翻訳」して日本で出版したもの、と思っていました。訳したのは彼本人?そんな馬鹿な。でも日本語→英語→日本語となると、けっこう面白いかも。もともとの「原作」と比べてみるのもいいぞ、なんて一人で勝手に想像しながら、本屋でペーパーバック風の黄色い本を手にしました。

ところが、買ってからよく本を見たら「英語版と同じ作品構成で贈る」と帯にある! 奥付を見ると「レーダーホーゼン」だけは「作者が新しく翻訳した」もので、あとの16作品は、ほとんどオリジナル・テキストのままらしい(「中国行きのスローボート」にはかなり手を入れた、と彼自身がまえがきで書いていますが)。それでも未読の短編もあるし、よしとしましょう。私の好きな「中国行きのスローボート」も「午後の最後の芝生」も入ってるし。

『風の歌を聴け』の講談社文庫版(1982年7月)を手にしたのは、大学生の頃でした。あの「あとがき」にだまされてしまった人が多いことを知ったのはずいぶんたってからでしたが、私も「デレク・ハートフィールド」という作家に翻弄された一人でした。大学の図書館で「デレク・ハートフィールド」の本をさんざん探してもらって、「そんな作家は存在しない」ということがわかった時の驚き。「あとがき」さえも「村上春樹ワールド」だったということに気づいた次第。

そのあと、憑かれたように『1973年のピンボール』(文庫版:1983年5月)、『羊をめぐる冒険』(1983年10月)の三部作を立て続けに読み、何度も読み返し、『中国行きのスロウ・ボート』(1983年5月)、『カンガルー日和』(1983年9月)、『蛍・納屋を焼く・その他の短編』(1984年7月)といった短編集の魅力にどっぷりはまり、そして大長編『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』(1985年6月)。しかし、私が村上春樹に入れ込んでいたのはこの頃までだったような気がします。『ノルウェイの森』(1987年11月)、『ダンス・ダンス・ダンス』(1988年10月)も、それなりにおもしろくはありましたが、かつての頃のようなインパクトを感じることはありませんでした。

今回の短編集は、「短編選集1980-1991」とあるように、初期の短編が中心となっています。1993年に“The Elephant Vanishes”というタイトルで米国で出版されたもののようです。わりと評判はよかったらしいですが、それもそのはずです。彼の小説はカポーティとかサリンジャー、カーヴァーといった米国の作家への憧れからスタートしているのですから。彼の小説が「現実離れ」していると感じるなら(特に初期の作品において)それはきっと「アメリカ」っぽいからです。きっと。戦後、日本人が「アメリカ」的なライフスタイルに憧憬を抱いたように、1980年代の若者にとっても「アメリカ」はまだ憧れの国でした。雑誌「ポパイ」しかり、わたせせいぞうの漫画しかり。村上春樹もその路線上にありました。

村上春樹はしかし、単に「アメリカへの憧憬」を描くのではなく、そこに日本的なドロドロ感もうまく混ぜ込んで、良質な日本人向けの小説に仕立て上げました。私にとって村上春樹はそんな小説家です。

この本の「まえがき」で、「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」と題して春樹はえんえんと「アメリカ成功物語」を記していますが、『風の歌を聴け』の「あとがき」と比べると、時代の流れを感じざるを得ません。ここに記されているのはたぶんすべて「事実」であり、ところどころにちょっと鼻につくような「自慢」さえも感じてしまいます。このへん、まるでデューラーの描いた2枚の自画像を見るようです。

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1 コメント

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わたせは春樹チルドレン (風邪の歌)
2016-01-15 12:10:42
>>わたせせいぞうの漫画しかり。村上春樹もその路線上にありました。

わたせの漫画のほうが春樹の延長線上なのです。
わたせの出世作83年「ハートカクテル」の舞台ジェシーズバーは、春樹の79年処女作「風の歌を聴け」のジェイズバーが元ネタです。80年代は春樹の模倣が溢れかえっていました。
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