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カクレマショウ

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清高荘物語<第1回> 新しい音楽への扉

2005-02-17 | ■その他
清高荘(せいこうそう)。東京、下北沢の西口から徒歩3分のところにあるその古ぼけたアパートには、私の「青春」のすべてが詰まっていると言っても過言ではありません。

清高荘の思い出を何回かに分けてお届けしたいと思います。

清高荘は、共同の玄関に、台所とトイレも共同という、今では滅多にお目にかかることができなくなってしまったスタイルのアパートでした。4畳半一間で家賃は当時2万5千円だったでしょうか。まるで「寮」のようなアパートでした。そして、みんな仲良く暮らしていました。

私が大学に入るために上京し、その住人の仲間入りをした頃、清高荘で毎日のようにかかっていたのが、高中正義の「Blue Lagoon」と山下達郎の「Moon Glow」でした。たいてい、1階の「マノ君」の部屋からそれは聞こえてきていました。高校時代、ほぼ拓郎とボブ・ディラン、そして今から考えると、「ニューミュージック」のはしりとも言えるような何人かのミュージシャンの音楽しか知らなかった私にとっては、どちらもまるで新鮮な音楽に聞こえました。ウブな私はそのノリノリのメロディにすっかり魅せられてしまったのです。

それにしても、高中と達郎とは、「時代」を感じさせますね。もちろん二人とも今でもバリバリですけど。高中のアルバムでは、"BRASILIAN SKIES"(1978年)が一番好きでした。このアルバムについては、改めてじっくり語りたいくらいです。

さてさて、私の部屋の筋向かいに住む「サイトウ君」は、さらに私の音楽世界を広げてくれました。サイトウ君は私より二つほど年上で、春休みに与論島に行っていたとかで、初めて会ったときは、真っ黒に日焼けした顔に髪を長く伸ばしていました。

私が部屋に遊びに行くと、「この音楽、サイコウだぜぇ!」とか言いながら、いろんな音楽を聴かせてくれました。サイトウ君は、どちらかというと洋楽系が好きで、ヘヴィメタルからソウル、ブルース、ジャズとなんでもござれの無類の音楽好きだったのです。スティーヴィー・ワンダーを教えてくれたのも彼でしたし、私にとってはジャズとの出会いともなるジョン・コルトレーンの"Ballad"やマイルス・デイヴィスの"Round About Midnight "をカセットテープにダビングしてくれたのももちろんサイトウ君でした(今でもそのテープ持っています)。そういえば、彼は一時期マイケル・フランクスにはまっていて、しきりに勧めてくれるのですが、私にはどうもなじめなかったことも思い出の一つですなァ~。

サイトウ君は、大学で音楽愛好会のサークルを立ち上げていて、その機関誌「Coconut Soup」に私も拙い文章を載せてもらったことがありました。確か、吉田拓郎の「伽草子」という歌をモチーフにした短編でした。手書きで、永島慎二の絵を真似したイラストまで添えて。そのサークルの友人がまた清高荘にけっこういりびたっていたのですが、彼らもまたサイトウ君とは別の角度から、音楽の楽しみ方を教えてくれたのでした。

清高荘のおかげで、音楽を聴く喜びがずいぶん広がったと思っています。

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