ライブドアの堀江社長が、連日とんがった言動で世間をにぎわせてくれています。迎え撃つフジテレビの日枝社長も負けじと吠えていますね。
最初にこのニュースを聞いたとき、ネットで世界を「支配」するはずの堀江社長がなぜテレビ(フジテレビ)、ラジオ(ニッポン放送)、新聞(産経新聞)という「マスメディア」をほしがるのか不思議に思いましたが、話を聞いていると、結局、インターネットに人々を誘導するための「手段」としか考えていないのだということがわかりました。
今日初めて、当事者の一人であるニッポン放送の亀渕社長のインタビューを見ました(ニュースステーション)。さすがに元パーソナリティだけあって、実にさわやかな物言い。こんな騒ぎの中で「よく仕事をしてくれています」と社員に感謝の言葉をまず一発。当の堀江社長に対しても「毎日マスコミに囲まれて大変だと思いますよ」と気遣いを忘れない(私から見れば堀江社長はむしろ好んでマスコミの前に出ているように見えますけどね)。とどめは、「どちらの傘下に入りたいか」という質問に対し、「私も取締役の一人ですから、取締役会が決めたこと(TOB=Take Over Bid、公開買付)に従います」として、「そんな質問は愚です!」と切り返す。ばっさりと、そして笑顔でやんわりと。ただものではないとみました。
亀渕氏のそんな「おとな」の態度を見てしまうと、堀江氏の言動がどうにも「子ども」じみて見えてしかたがありません。田中康夫長野県知事、ほどではないにしろ、口をとんがらせたような言い方は、決して「世間」の好感を招くものではないような気がするのですが…。
もっとも、彼がプロ野球界に風穴を開けたように、その「とんがり」こそが今の社会には求められているのかもしれませんけどね。どこまで「とんがり」続けられるか、今回の問題ということではなく、堀江社長には期待する気持ちもあるのは確かです。
最初にこのニュースを聞いたとき、ネットで世界を「支配」するはずの堀江社長がなぜテレビ(フジテレビ)、ラジオ(ニッポン放送)、新聞(産経新聞)という「マスメディア」をほしがるのか不思議に思いましたが、話を聞いていると、結局、インターネットに人々を誘導するための「手段」としか考えていないのだということがわかりました。
今日初めて、当事者の一人であるニッポン放送の亀渕社長のインタビューを見ました(ニュースステーション)。さすがに元パーソナリティだけあって、実にさわやかな物言い。こんな騒ぎの中で「よく仕事をしてくれています」と社員に感謝の言葉をまず一発。当の堀江社長に対しても「毎日マスコミに囲まれて大変だと思いますよ」と気遣いを忘れない(私から見れば堀江社長はむしろ好んでマスコミの前に出ているように見えますけどね)。とどめは、「どちらの傘下に入りたいか」という質問に対し、「私も取締役の一人ですから、取締役会が決めたこと(TOB=Take Over Bid、公開買付)に従います」として、「そんな質問は愚です!」と切り返す。ばっさりと、そして笑顔でやんわりと。ただものではないとみました。
亀渕氏のそんな「おとな」の態度を見てしまうと、堀江氏の言動がどうにも「子ども」じみて見えてしかたがありません。田中康夫長野県知事、ほどではないにしろ、口をとんがらせたような言い方は、決して「世間」の好感を招くものではないような気がするのですが…。
もっとも、彼がプロ野球界に風穴を開けたように、その「とんがり」こそが今の社会には求められているのかもしれませんけどね。どこまで「とんがり」続けられるか、今回の問題ということではなく、堀江社長には期待する気持ちもあるのは確かです。
私には株のことや経済のことはまったくわからないけど、今回の日本放送買収劇においては、これまでも行われていたはずの市場内取引のなかの時間外取引が、どうしてホリエモンの場合はこれほどたたかれるのか、わからないのですが・・・
伝統的メディアを尊重しろといった声も聞かれますが、悪しき記者クラブ制度にのっかった今の報道のあり方には大変疑問を感じます。イラク人質事件の
ときも自己責任バッシングをさかんにしていたメディアに不信を覚えました。
ネクタイをするしないがそんなに大事なことでしょうか。彼は自分の興味に誠実で、本音で語ることのできるネクタイを必要としない人なんだろうと思います。
日本的共同体主義によって閉じられてしまったところに風穴をあけてゆくためには、やっぴさんも仰る様にホリエモンのような人が必要だと思っています。
コメントどうもありがとうございました。
今の日本社会に風穴をあける、という点では全く同感です。それにはたぶんスケープゴートとしての「嫌われ者」が必要で、それがホリエモンに与えられた役回りなのではないかと思っています。
最近登場してきた北尾氏が、乗っ取られる社員の気持ちを考えないような買収は賛成できない、と言っています。確かに同情の余地はありますが、それも考えようによっては日本人的甘さなのかもしれませんね。