第一部 ファンティーヌ
第三編 一八一年のこと(岩波文庫第1巻p.210~p.259)
1817年。「ルイ18世が幾分矜(ほこ)らかに厳(いか)めしくも彼の治世第22年と称した年である」とユゴーは記しています。革命の中で、ルイ16世の王権が停止されたのが1792年、。処刑されたのが翌年。そのあとナポレオンが登場してきて、姿を消して、再びブルボン朝が復活したのは1815年のはず。ルイ18世は、兄を処刑したにっくき国民公会が解散した1795年を自分の即位の年と考えていたのかしらん?
それはともかく、ユゴーは、この1817年にパリで起こった出来事をつぶさに書き記しています。ナポレオンはセントヘレナにいた。ルーブル美術館ではナポレオンの頭文字Nがあらゆるものから消され、アカデミーはその帳簿から会員ナポレオンの名前を抹消した。海軍省がジェリコーの絵で有名なメデュース号の遭難について調査を始めた。ランブランの珈琲店は皇帝派で、ブルボン派のヴァロワ珈琲店と対抗していた。バイロンが世に現れ始め、セーヌ川には蒸気船が姿を現した…。
とりとめもなく世相を書き連ねたあと、ユゴーは言います。
以上雑多なことは、今日もう忘れられているが、1817年から雑然と浮き出してくるところのものである。歴史はこれらの特殊な事がらをほとんどことごとく閑却している。そしてそれも余儀ないところである。歴史は無限になるだろうから。けれどもこれらの詳細は、それを些事といい去るのは誤りであって──人生のうちに些事はなく、植物のうちに瑣末(さまつ)なる葉はない──それは皆有用なことである。時代の容貌が形作らるるのはその年々の相(すがた)によってである。
人生のうちに些事はなく、植物のうちに瑣末なる葉はない…。いい言葉です。こんな文章があちこちに散見されるのも『レ・ミゼラブル』の大きな魅力の一つです。国を動かす政治家や軍人だけが「歴史」を作ってきたのではないのです。名もなき民衆、それぞれに一生懸命生きて死んでいった彼らの歴史一つ一つに、後世に生きる私たちが本当に学ぶべきところがあるような気がしています。
さて、ユゴーは、そんな1817年にパリにいた4人の若者の姿を描いていきます。彼らは、議論好きのどこにでもいる大学生。それぞれに恋人もいて、いつもつるんで遊んでいます。
若者のうちの一人、トロミエスの彼女はファンティーヌという名前でした。彼女のことでわかっているのは、モントルイュ・スュール・メール生まれだということだけで、両親も家族もなく、名前さえ「まだ小さい時に通りを跣足(はだし)で歩いていると、通りがかりの人がいい名だと言ってつけてくれた」という具合でした。15歳の時にパリに出てきて、働きました。美しい歯をしたかわいらしい金髪の娘でした。そして、トロミエスを心から愛していたのです。
ある日曜日、4人の若者は4人の娘を前に、一世一代の狂言を演じます。郊外にピクニックに行ったあと、夕暮れになって8人はシャンゼリゼのとある料理店にしけ込みます。若者たちは、酒の勢いもあって、若者らしい演説をそれぞれにぶち始めます。そして、かねてから「おもしろいこと」をすると宣言していた若者たちは、「その時が来た」といって、4人の娘に少し待つように告げて料理店を去っていくのです。ところがいつまでたっても彼らは戻ってきません。
1時間後、ボーイが1通の手紙を持ってやってきます。それは、彼らがそれぞれに自分の故郷に帰って家を継ぐことを告げるものでした。つまり、女たちは体よく厄介払いされたということです。
残された女たちは、虚仮にされたことを憎むどころか、それぞれに、こんなことを考えるのは自分の彼にちがいないなどと言い合う始末。しかし、心の中ではもちろん泣き叫んだことでしょう。特にファンティーヌは。ユゴーは、次のように表しています。ここもとても好きな箇所です。
そして彼女たちは笑いこけた。
ファンティーヌも他の者と同じく笑った。
1時間後、自分の室に帰った時に、ファンティーヌは泣いた。前に言ったとおり、それは彼女の最初の恋であった。彼女は夫に対するようにトロミエスに身を任していた。そしてこのあわれな娘にはもう一人の児ができていたのであった。
やがてファンティーヌが産むことになる女の子。彼女はコゼットと名付けられます。次回はいよいよコゼットの哀れな少女時代です。
第三編 一八一年のこと(岩波文庫第1巻p.210~p.259)
1817年。「ルイ18世が幾分矜(ほこ)らかに厳(いか)めしくも彼の治世第22年と称した年である」とユゴーは記しています。革命の中で、ルイ16世の王権が停止されたのが1792年、。処刑されたのが翌年。そのあとナポレオンが登場してきて、姿を消して、再びブルボン朝が復活したのは1815年のはず。ルイ18世は、兄を処刑したにっくき国民公会が解散した1795年を自分の即位の年と考えていたのかしらん?
それはともかく、ユゴーは、この1817年にパリで起こった出来事をつぶさに書き記しています。ナポレオンはセントヘレナにいた。ルーブル美術館ではナポレオンの頭文字Nがあらゆるものから消され、アカデミーはその帳簿から会員ナポレオンの名前を抹消した。海軍省がジェリコーの絵で有名なメデュース号の遭難について調査を始めた。ランブランの珈琲店は皇帝派で、ブルボン派のヴァロワ珈琲店と対抗していた。バイロンが世に現れ始め、セーヌ川には蒸気船が姿を現した…。
とりとめもなく世相を書き連ねたあと、ユゴーは言います。
以上雑多なことは、今日もう忘れられているが、1817年から雑然と浮き出してくるところのものである。歴史はこれらの特殊な事がらをほとんどことごとく閑却している。そしてそれも余儀ないところである。歴史は無限になるだろうから。けれどもこれらの詳細は、それを些事といい去るのは誤りであって──人生のうちに些事はなく、植物のうちに瑣末(さまつ)なる葉はない──それは皆有用なことである。時代の容貌が形作らるるのはその年々の相(すがた)によってである。
人生のうちに些事はなく、植物のうちに瑣末なる葉はない…。いい言葉です。こんな文章があちこちに散見されるのも『レ・ミゼラブル』の大きな魅力の一つです。国を動かす政治家や軍人だけが「歴史」を作ってきたのではないのです。名もなき民衆、それぞれに一生懸命生きて死んでいった彼らの歴史一つ一つに、後世に生きる私たちが本当に学ぶべきところがあるような気がしています。
さて、ユゴーは、そんな1817年にパリにいた4人の若者の姿を描いていきます。彼らは、議論好きのどこにでもいる大学生。それぞれに恋人もいて、いつもつるんで遊んでいます。
若者のうちの一人、トロミエスの彼女はファンティーヌという名前でした。彼女のことでわかっているのは、モントルイュ・スュール・メール生まれだということだけで、両親も家族もなく、名前さえ「まだ小さい時に通りを跣足(はだし)で歩いていると、通りがかりの人がいい名だと言ってつけてくれた」という具合でした。15歳の時にパリに出てきて、働きました。美しい歯をしたかわいらしい金髪の娘でした。そして、トロミエスを心から愛していたのです。
ある日曜日、4人の若者は4人の娘を前に、一世一代の狂言を演じます。郊外にピクニックに行ったあと、夕暮れになって8人はシャンゼリゼのとある料理店にしけ込みます。若者たちは、酒の勢いもあって、若者らしい演説をそれぞれにぶち始めます。そして、かねてから「おもしろいこと」をすると宣言していた若者たちは、「その時が来た」といって、4人の娘に少し待つように告げて料理店を去っていくのです。ところがいつまでたっても彼らは戻ってきません。
1時間後、ボーイが1通の手紙を持ってやってきます。それは、彼らがそれぞれに自分の故郷に帰って家を継ぐことを告げるものでした。つまり、女たちは体よく厄介払いされたということです。
残された女たちは、虚仮にされたことを憎むどころか、それぞれに、こんなことを考えるのは自分の彼にちがいないなどと言い合う始末。しかし、心の中ではもちろん泣き叫んだことでしょう。特にファンティーヌは。ユゴーは、次のように表しています。ここもとても好きな箇所です。
そして彼女たちは笑いこけた。
ファンティーヌも他の者と同じく笑った。
1時間後、自分の室に帰った時に、ファンティーヌは泣いた。前に言ったとおり、それは彼女の最初の恋であった。彼女は夫に対するようにトロミエスに身を任していた。そしてこのあわれな娘にはもう一人の児ができていたのであった。
やがてファンティーヌが産むことになる女の子。彼女はコゼットと名付けられます。次回はいよいよコゼットの哀れな少女時代です。
いつも楽しみに拝読しています。
「一生のうちに些事はなく・・・」本当にいい言葉ですね。
私の座右の銘(?)の「無事は一大事」に通じるものがあると思いました。
「何もいいことない」と嘆く人が身近にもいますが、ちょっと視点を変えると人生ばら色になるのにもったいないといつも思います。こういうことを人に伝えるのって難しいですね。伝えたいと思うことからして傲慢なのかと考えてしまいます。
伝える努力は決して放棄してはいけないといつも思います。人間結局は一人、とはいうものの、やっぱり他の人の考え方とか思いを知ることは大切ですから。それは伝えなければ伝わりませんから。