遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

原ノ町から相馬市へ

2013-03-16 20:12:02 | たび・出会い
 原ノ町小高地区の最も海に近い場所で下ろしてもらい、できるだけ海岸線を歩くつもりで壊れた防波堤の上を歩こうとしたがすぐに行き詰まり、砂浜を歩こうと防波堤の破れ目から降りて見たが堤防の外側は消波ブロックの山だった。
 その砂浜に無数のまだ新しい折り鶴が打ち上げられているのを見つけ、いくつかを拾ってバッグにしまい、防波堤を歩くことは諦めて国道に戻る。思えば今回の旅で波打ち際まで近づくことができたのはこの時だけだった。

 海岸線から離れるように大きく左に曲がる国道を捨てて防波堤からあまり離れない道に入る。遥か彼方まで一直線の道が続き、その道と防波堤の間には広大な瓦礫置場や消波ブロックをつくる作業場が延々と続く道の長さほどあり、辻々にはダンプカーの出入りを誘導する警備員立っていた。

 田圃いっぱいに付近の表土をかき集めて小さな山がつくられている一方で、その表土を一ヶ所に集めた置き場には黒い巨大な土の山が出来ている。

 以下、続きは帰宅後に・・。

原ノ町・2

2013-03-16 08:27:28 | たび・出会い
 4時過ぎに起きて簡単な食事をすませパッキングしていると『お早うございます』と声をかける人があり、挨拶を返すとその人=Wさんは災害ボランティアの方で主に遺跡の発掘に携わっていると言って地域の古墳や遺跡の話しを矢継ぎ早に繰り出し、ついて行けなくてマゴマゴしつつも意気投合。トントン拍子に話しが進んで浪江のすぐ近くの小高と言う地区まで車で送ってもらうことになった。

 原ノ町の小高地区は原発から近くて居住できなかっために震災当時の状態がほぼそのままで、これからライフラインの回復等、復興に向けて動き始めようと言う地域だとのことで、堤防や海岸線どころか、家屋や道路さえも殆ど手つかずだった。
 波が家屋の1階部分を通り抜けて行ったのが特徴的だと言うWさんの言葉通り、1階の柱を残して内部がスッカラカンで向こうが透けて見える家が多かった。

 道路は幹線であるR6だけは何とか確保されているものの県道や町道はあちこちで崩落したり波打ったりしており、流されて境界だけになった田圃に至る道はバラスを敷き詰めただけのものであったり途中で途切れていたりで、目的地に行くにも右往左往させられた。
 北隣りの原町地区に比べると道路修復の重機の数も少なく動きもあまり見られないし、瓦礫の処理も進んでいない。それでも動き出したと言う感じはあった。
 小高地区の居住者であるWさんの家は大きな損壊はなく、これから手入れするがライフラインが復旧しないことには戻れず、まだ2年くらいはかかりそうだと言う。

 そこから更に進んで原発から7km地点付近にあるWさんが発掘に携わっている5700年前・縄文晩期の貝塚に行く。Wさんのご自慢にして一番見せたかった所なのだろう。

 この後小高地区を少し戻った地点で車を降りて県道を北に向かう。ここから歩き旅の始まりとなる。