遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

陽だまりの山

2007-11-19 11:11:00 | 山のあしおと小学校
 2003年6月15日にスタートした旧四賀村一周境界線ハイキングが完結した。最終回のコースからは全9行程のほぼすべてを望むことができた。

                 
 長峰山の山頂に立つと誰もが正面に聳える常念岳の美しい姿と眼下に広がる安曇野に釘づけになり、ため息にも似た賞賛の言葉を発する。かつて川端康成,井上靖,東山魁夷の三文化人がそこに立って絶賛したと言う話しは今も地元の語り草である。
 だが、翻って見る東側の景観も負けず劣らず素晴らしい。3000m級の山が珍しくもない信州にあっては決して目立つ高さではないが、戸谷峰から保福寺峠を隔てて入山,御鷹山へと連なる1600mを超えるスカイラインの美しさは格別で、とりわけ朝の逆光に浮かび上がるシルエットが素晴らしい。
 その山々が、旧四賀村をすっぽり包み込むように連なっている面白さに気づいてこの計画を思い立ち、スタートしてから5年でようやく出発点に戻った。その間に四賀村が吸収合併されて松本市になり、いちいち『旧』を冠するようになって面倒なことこの上ない。だが『旧』がついていてもいなくても、このコースの面白さは変わらない。


 一昨日から急激に気温が下がり、稜線に立つと南側から冷たい風が吹いてくる。小寒い風に晒されて見ると山々もどこか寒そうに見える。木枯らしが吹いて木の葉の大半を落としてくれたおかげで薮山が幾分明るくなった分だけ寒さを余計に感じるのかもしれない。

 狩猟期に入ったばかりの里山は、あちこちで銃声が響いて何やら落ち着かないのが多少の障りになるが、雪に覆われる前の薮山の陽だまりには熟柿になったような幸福感がある。
 熟柿になって陽だまりを貪りながら、一巡り完結した安堵感の中でやり残したこと,新たに思いついたことなど考えて次の計画を立てようと思っている。

銃声に怯えながら歩く・・・境界線ハイキング完結・後

2007-11-19 00:20:17 | 山のあしおと小学校

 そこから先は889mのピークにある三角点を目指して小さなピークを全部拾って歩き、地図通りに4つ目のピークで三角点に到達。時刻11:40。
 一旦下って西に進むと道が二つに分かれる場所にぶつかる。左は目の前のピークに向かう登り,右はそのピークを迂回するやや下り気味の道,多分右の道をどんどん行くと先日の里山道のハイキングと同じ間違いを犯すことになるであろうから迂回した道のどこかからピークによじ登らなければならなくなるはずで、その場所は左手に馬頭観音がある場所だ。

 そうであればはじめからピークを目指して左の道を登ればよい。 
 そして予想通りピークに上がると堀平の祠に出る。時刻も12:00となり、ここで昼食休憩をとる。

 その時,正面やや右手下の谷から『ズドーン』と1発の銃声がして、しばらく後にもう1発鳴った。覗き込むと右手下方に林道があり、軽トラが1台停まっているのが見える。
 大声で『ここにいるぞぉ~』 『撃つなよぉ~』と2,3回叫んでから弁当を食べる。聞こえたのか聞こえなかったのか,しばらく銃声は途絶えていたが、食べ終わってそろそろ発とうとする頃,再び2発,ややおいてもう1発鳴る。
 改めて大声で叫んで12:35に出発。銃声の位置が低く、こちらは丸い稜線の左端を歩いているので、右手の谷から尾根に向かって発砲したとしても直接流れてくる心配はないのだが、時々大声を出しながら足早にそこを通り抜ける。

               
 銃声が聞こえなくなっても、右に寄りたくないと言う心理が働いてか左へ左へとより過ぎて一度は道を間違えると言うこともあったがすぐに気づき、以後は見覚えのある崩れた祠やTVの共同アンテナを見ながら順調に下って13:20に鉄塔16号に着く。

                 
 さらに下って1軒屋で今日も農作業に余念のない老婦人とよもやま話しなどして13:35に釜蓋で県道に出る。

 矢の沢の公民館までもう一度急坂を登り14:00に着く。03年6月15にスタートした境界線ハイキングはこれでひとまず終わる。