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遊びと学び,創造の基地・山のあしおと小学校

冒険,遊び,仕事,学習,生活全般を学ぶ、子ども達のための私設小学校

音が聞こえない!

2006-03-29 14:53:01 | 広島
 平和の鐘です。中に入るとまさに割れ鐘のような凄まじい音で頭がガンガンするかと思いきや、まったく鐘の音が聞こえなくなり静かです。ただし、外に広がって行く音は聞こえます。不思議な鐘です。
 これは、鐘の中では音が干渉しあって打ち消すためだと考えられます。

サダコ・・・原爆の子の像

2006-03-29 14:22:12 | 広島
 白血病で亡くなった佐々木禎子さんをモデルにした原爆の子の像。
 原爆の子の像の周りには全世界から寄せられた折鶴がびっしりと飾られています。数年前,ここに飾られた折鶴が、何者かによって火をつけて燃やされるという事件があり、それ以来,折鶴はアクリルのケースに入れられ、監視カメラが作動しています。

祈る

2006-03-29 14:00:00 | 広島
 小さな手を合わせて何を祈る・・・。

 広島平和記念都市建設法は、その第六条に、広島市長の責務として『広島市の市長は、その住民の協力及び関係諸機関の援助により、広島平和記念都市を完成することについて、不断の活動をしなければならない』と決めています。
 毎年8月6日の午前8時15分、広島市長が、ここから全世界へ平和アピールを出しつづけているのはこのためです。

 1998年、1年間に広島を訪れた観光客は700万人。慰霊碑の前に立つすべての人が平和をねがう「ヒロシマの心」をもち帰ってくれることこそ、原爆慰霊碑に納められた10万の霊がのぞんでいることではないでしょうか

慰霊碑の前で

2006-03-29 13:40:34 | 広島
 原爆死没者慰霊碑です。慰霊碑ははにわの家型につくられており、中の石棺には『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』と書かれた碑文があります。
 碑文は何を意味し、碑は私たちに何を訴えているのでしょうか。
 
 この碑文をめぐっては、その主語が誰なのか、誰が過ちを繰り返さないといっているのか,『繰返しませぬから』か『繰り返させませぬ』かといったことが争点になって度々論争が起こっていますが、1970年台,当時の山田節男広島市長が「再びヒロシマを繰返すなという悲願は人類のものである。主語は『世界人類』であり、碑文は人類全体に対する警告・戒めである」という見解を発表しました。
 このため、現在では、碑文の意図するところは、国籍をこえて、この碑の前に立つすべての人間が、自国の間題、人類の1人として、二度と核戦争をしないことを誓うことだという解釈がいきわたっています。




太き骨は先生ならむ・・・

2006-03-29 13:35:30 | 広島
 像の後に彫られた碑文。碑には正田篠枝さん(故人)の短歌が刻まれています。

 『太き骨は先生ならむ そのそばに小さきあたまの骨あつまれり』
 
 この短歌は、1946年春に秘密出版された第1回歌集『さんげ』からとられたものです。正田さんは当時の事情について、『その当時はGHQの検閲がきびしく、見つかったら必ず死刑になるといわれました。死刑になってもよいという決心で身内の者が止めるのに、やむにやまれぬ気持ちで秘密出版いたしました。無我夢中で、ひそかに泣いている人にひとりひとりさし上げさせていただきました』

 正田さんが生命をかけて後世に残された『さんげ』には、次の短歌もあります。

 『目玉飛びでて盲となりし学童は かさなり死にぬ橋のたもとに』

 原爆詩人正田さんにとって、幼い子どもたちの死はひときわ強く胸をうったのでしょう。




教師と子どもの像

2006-03-29 13:30:57 | 広島
 午後からは平和公園内の碑めぐりです。
 はじめは『原爆犠牲国民学校・教師と子どもの像』です。
 戦争がはげしくなると3年生以上の子どもたちは、強制疎開で親もとをはなれなければなりませんでした。被爆当時、2年生以下の子どもたちと、高等科(現在の中学校1~2年生)の生徒たちが市内に残されていました。

 まだ小さいので親もとに残されていた2年生以下の子どもたちは、毎日登校していました。また、高等科の2年生は、連日市内の建物疎開作業に動員されていました。原爆は、このような子どもたちを無惨な戦争犠牲者にしたのです。

 その人数は、いまだ正確にされていませんが、約2000名といわれ、その指導・引率をしていた教師は約200名といわれています。そのうちの大半が高齢な女教師だったのです。


最新形電車グリーンリムーバー

2006-03-29 09:19:44 | 広島
 広島は数少ない路面電車の走る街で、今もたくさんの人を乗せてストリート電車が走っています。
 以前は全国の各地にあった路面電車は、車の増加に伴って『交通の邪魔になる』との理由で次々と廃止・撤去されましたが、あまりにも車が増えすぎて都心への車の乗り入れを規制しなくてはならなくなった現在、逆に路面電車の価値が見直されているのは、歴史の皮肉と言うべきでしょうか。
 
 電車の色や型は様々ですが、これは国内外の都市間で交換した路面電車を移入しているためで、さながら電車博物館のよう。
 写真は最新のドイツの路面電車『グリーン・リムーバー』です。西広島駅からはこの電車に乗ります。他にも色々あります。