【蜩】(ひぐらし)
セミの一種。全長約 5センチメートル。全体は栗褐色で緑色および黒色の斑紋が多い。雄の腹部は大きく、薄く半透明で、共鳴器となる。夏から秋にかけ、夜明けや日暮に、高く美しい声で「かなかな」と鳴く。カナカナ。秋の季語。 万葉集10「夕影に 来鳴く 蜩」
ふるさとの 天の夕暮れ かなかなかな 三好 曲
蜩の声は夕暮れに聞くものという思いが強かったのですが、最近は早朝の時間に聞くことが増えてきました。
暁方に鳴く蜩を呼ぶ暁蜩(あけひぐらし)という言葉があるそうですが、近頃はその暁蜩の声を聞くことが往々にしてあります。
本来、夕方の日暮れ時に鳴くことから、「日を暮れさせるもの」としてヒグラシの和名がついたという説があります。
先人の人達は蜩が好きだったようで、和歌などには真夏の蝉よりもむしろ蜩を題にとった歌が多く遺されています。
しかし、どちらかというと、遠くで聞く声に「はかなさ」や「わびしさ」などの物悲しさを感じるという用い方としてのものが多いようです。
とはいえ、「遠くで聴く声の「物悲しい」印象」に蜩の鳴き声の真骨頂があるのではなく、間近の頭上で煩いほどに鳴き喚く、その激しさがそのままに「物悲しい」とも解せます。
「遠くで聴く声の「物悲しい」印象」とは、蜩から遠いということではなく、抒情的に捉えるならば、人里から、人の世から遠い場所で耳にすると、一層、様々な思いが募ってしまうと判ってきます。子供の頃に、家路へと急ぐ夕暮れ時、蜩の声にせかされた思い出や、もっと刹那的な夏の終わり頃の記憶などが、心のどこかに刻まれているのかも知れません。
まだ日中は暑い日が続いていますが、蜩の声を聞く朝夕には涼しい風が吹く心地よい時間が拡がり始めています。
「暑いですね」という挨拶の言葉がいつの間にか「朝夕は涼しくなりましたね」という言葉に変わり始めました。
蜩の声を聞くと去ってゆく夏の後ろ姿が見える気がします。
明日も明後日も暁蜩の声を聞きながら、去りゆく夏の後ろ姿を眺める事と思いますが、後どのくらいその夏の背が見続けられるでしょう。
あと半月もすれば、暁蜩の声を聞くことも無くなって、夏の背中もすっかり消えて、秋一色となっていることでしょうね。
もの置けば そこに生まれぬ 秋の蔭 高浜虚子