あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

独創的な寺

2011年07月25日 | うんちく・小ネタ

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                                                                  いんげん豆を中国から伝えたといわれる隠元禅師。
隠元禅師は中国(明)福建省の生まれ。江戸時代初期、彼が63歳の時に長崎の唐人寺であった崇福寺に招請され、約20人の弟子を率いて来日しました。

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                                                                   彼と第4代将軍徳川家綱によって京都・宇治の地に開かれたのが黄檗山萬福寺。
中国様式のこの寺は、弥勒菩薩の代わりに黄金色の布袋像が安置されていたり、屋根の上に足のあるシャチホコ「摩伽羅」が乗っていたり、卍崩しデザインの欄干があったりと日本の寺院を見慣れた目にはかなり独創的に映ります。

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萬福寺といえば、食堂である斎堂の回廊に吊り下げられている巨大な魚型の開梛も有名ですね。お寺ではこれを叩き鳴らして、修行をする僧たちに食事や法要の時間を知らせています。この開梛は、木魚の原型としても知られているそうです。

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                                                            開梛や木魚で魚のモチーフが使用されるのは、目を閉じないため眠らないと考えられた魚にあやかり、24時間心の目は休めず修行に精進するという意味が込められているからだとか。また、魚の腹を叩くことで煩悩を吐き出させるという意味もあり、萬福寺の開梛がくわえている丸い玉は煩悩を表しているそうです。
もし自分のお腹を叩かれたら、大量の玉を吐き出しそうです。 
(108個出てくるかも?)

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157 コメント

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京のほけん屋様。夏休みは別に、 (NOいちご)
2011-07-25 01:23:47
京のほけん屋様。夏休みは別に、
ちゃんと取ってくださいね。
お身体のことが心配です。

こんな説を聞いたことがあります。

(1)明暦元年(1655年)、隠元は
 普門寺に晋山するが、隠元の
 影響力を恐れた幕府によって、
 寺外に出る事を禁じられる。

(2)隠元には、後水尾法皇を始めと
 する皇族、幕府要人を始めとする
 各地の大名、多くの商人たちが
 競って帰依した。

とありますが
それほどまでに影響力があった
隠元の思想とはどのようなもの
でしょうか。

隠元は中国から普茶料理を伝えた
そうで、それと関係あるのかな、と
思っていますがどうなんでしょうか。

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NOいちご様 (京のほけん屋)
2011-07-25 02:54:57
NOいちご様
コメントに感謝致します。

(1)隠元の思想というより、日本に
 つれてきたのが鄭成功だという
 のが問題視されたのではない
 でしょうか。

鄭成功といえば、清を武力で倒して
明を復興しようと企んでいた人物です。
もし鄭成功と関係が深いと目される
隠元が明朝の復興を説いてまわった
とすれば、「義を見てせざるは勇無きなり」
とばかりに清朝打倒の世論が起って、
たいへんな国際問題になったかも
しれません。
その危険をおそれた幕府は
「君子あやうきに近寄らず」と考え
て寺外に出る事を禁じたのでは
ないでしょうか。

(2)江戸時代には中国は世界最高の
 文明国だとみなされていました。
 最高の文明国からきた最高の知識人
 ということで、好奇心や(普茶料理
 などの食文化も含めて)中国文化
 へのあこがれから人が集まって来た
 のではないでしょうか。

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(1)隠元禅師は、日本からの度重なる (富士田)
2011-07-25 22:20:02
(1)隠元禅師は、日本からの度重なる
 招請に応じて来朝。
(2)当初、長崎の興福寺・崇福寺に入る。
(3)明暦元年、妙心寺派の摂津の普門寺
 に住持。
しかし幕府から経済的な保障は得るものの、
軟禁状態。
(4)明暦4年(1658)、妙心寺住持の龍渓
 宗潜・禿翁妙周らの尽力により時の
 将軍家綱に謁見
(5)万治3年(1660)、幕府から後水尾天皇
 の生母、中和門院の宇治の別 邸の地、
 約9万坪を与えられ、黄檗山開創。

とありますが、
隠元禅師が幕府に軟禁されたのはなぜ
ですか。
また、将軍家綱・後水尾天皇の支援を
えることができたのはなぜなのでしょうか。

京のほけん屋さんのように、深夜に調べ物
をすることがどれだけしんどいことか、
少しだけ調べたいものがあってやっていま
したが、頭は重いし、身体もどんよりとして
出来ませんでした。
どんなに健康な方でも、深夜にしかも
毎日これでは、本当にお辛い日もあること
でしょう。
そう思うと、これまでの丸2年の御苦労は
想像を超えるものがあります。
どうか、ご無理の無いようにして下さい。

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しばらくご無沙汰となっておりました。 (公務員の学校教師)
2011-07-25 22:20:27
しばらくご無沙汰となっておりました。
過日に体調を崩し、サナトリウムに
暫し身を置いての治療を続けており
ました。
退院後も、身体のダルさのような
モノが抜けきれず、養生を続けて、
先週の終わりにやっとリハビリも兼ねた
散歩などが出来るようになって参りました。
サナトリウムではインターネットとは
無縁の社会でございましたので、
退院後から、京のほけん屋さんの
サイトに、やっと寄せて頂くことが出来
ましたが、さすがにコメントを残すことまでは
気力的にも相成らず、今の今まで、
拝読させて頂くに留まりました。
その間の、著名な方々からの高尚なる
お言葉も拝見致し、気分が高揚すること屡で、
どれだけ嬉しく、そして有難い事であるかを
考えさせて頂きました。
私が、これほどまでにコメントの投稿が
出来なくなるのは、体力が無く、疲労感が
高いからであり、これと同様の、体調不良を
京のほけん屋様も体験されていた日が、
この二年の間に何度かあったのではと、
そのようなことを思いました。
それでも、調べること、コメントにまとめること、
を毎日続けられ、新しい記事や写真の
手配などを欠かさずに励行されている
貴方様のご努力と精神力には、
身を持ってまねの出来ないタフさと、折れない
心の強さをお持ちだと感じております。
完璧さを求め続けるご意志の高さは、
お仕事の質そのものでしょうし、裏切ること
のない完遂力には、ご商売への自信と
顧客様への万全の信頼感を現わされて
おられるのだと気付かされました。
ただ、ご無理はいけません。
単にその日は眠いという体調の日でも、
これだけのものを守り続けようとされて
いることでしょうが、お身体には良くありません。
そうか、お休みを細目にとられながら、
このブログを継続して頂きたいのであります。
病の臥せった時期、このブログの記事のことや
コメントのやり取りなどの記憶が、私の
ひとつの復帰力に繋がったことは、間違い
ございません。
知見収集の場だけでなく、心の支えでもある
この場所の為に、どうかどうか、ご休養を
取られながらのご進行をお願い申し上げる
次第でございます。

ご返信は不要でございます。
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時候の挨拶と同じで、ある時期 (寂しいITビジネスマン)
2011-07-25 22:20:51
時候の挨拶と同じで、ある時期
になると決まって語られる話が
あります。

「あれ? 同じ話を去年もしていたな・・・」

その類の話。「あれ?」と思いながらも、
おつきあい頂きたいのが鰻の話でござ
います。
さてさて、2011/07/21は土用丑の日
ということで、鰻と蒲焼きのニュースが
度々取り上げられました。ここは時流
に乗ることにして私も鰻と蒲焼きを
めぐるご質問をさせて頂くことにしま
した。

今年は二回ある土用丑の日と耳に
しました。土用丑の日という決め方に
ついて、私も他の方に偉そうに説いて
聞かせることが出来るくらいになりたい
と思います。
ご教授いただけないでしょうか。

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ここ数日、散歩道で藤の房が (大津琵琶子)
2011-07-25 23:17:14
ここ数日、散歩道で藤の房が
薄紫の花を咲かせ始めています。
夫は「狂い咲きだ」と言いますが、
今頃でも藤の花は咲くもので
しょうか?

今年は夏至に鶯の声を聞いたり、
梅雨に藤の花を見たり、うれしい
ような驚くようなへんな気持ちです。

藤の花に鶯、忘れ花に忘れ鳥
でしょうか?
今年が狂った年なのか、いつも
少数ながら仲間と違った木や鳥が
いたことに今年はなぜか気がついた
だけなのか?
そんなことを思う夏です。


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黄檗宗を日本に伝えたという (オーソレミヨ)
2011-07-25 23:17:34
黄檗宗を日本に伝えたという
隠元和尚について。
彼がいんげん豆を日本にもたら
したという話をこの記事で学び
ました。とても面白い話なので
実際にその話が載っている史料
を探したいのですが・・・。
どんなものがあるでしょうか。

夏休みは長くとって下さいね。
記事が読めないのは寂しいもの
ですが、でも、京のほけん屋さん
のお身体のことを思うと、すこしでも
お休みをとっていただきたいです。
長いこのブログとのお付き合いを
お願いしたいのですから、
ご健康を祈念しています。
返信する
富士田様 (京のほけん屋)
2011-07-25 23:18:43
富士田様
コメントに感謝致します。

隠元の影響力を恐れた幕府が
寺外へ出るのを禁じたとあります。
あまり沢山の人が押し掛けたので
警戒したのでしょう。

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寂しいITビジネスマン様 (京のほけん屋)
2011-07-26 00:25:27
寂しいITビジネスマン様
コメントに感謝致します。

今年は明日7/21と 8/2の 2回、
丑の日があります。こうした場合、
最初を一の丑(いちのうし)、
二度目を二の丑(にのうし)などと
呼びます。
鰻にとっては、一の丑の日に生き
延びてももう二の丑という恐怖の日
がやってくる訳ですね。

こうしたことが起こるのは土用の
期間が18(たまに19)日であり、
丑の日は十二支ですから12日に
一度めぐってくるわけですから、
当たり前といえば当たり前です。
また珍しいことでないことは最近の
二の丑のある年を見ればよく分か
ります。

○2006, ×2007, ○2008, ○2009,
×2010, ○2011, ×2012, ○2013

頭に「○」をつけた年は二の丑の
ある年。
こうしてみると二の丑まである年の
方が多いのが分かります。
鰻も大変だこと・・・。

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大津琵琶子様 (京のほけん屋)
2011-07-26 01:52:46
大津琵琶子様
コメントに感謝致します。

【忘れ花】(わすればな)
忘れ咲きの花。時節がすぎてか
ら咲く花、また返り咲きの花。
冬の季語。
      《広辞苑・第六版》

藤の花の咲く時期といえば大体
4~5月頃。
人間同様、多少のんびり屋の
藤の花があるのかもしれませんね。
とはいえ、 7月も後半に咲き始める
とすると「多少」ではなくて随分な
のんびり屋ですね。

  狂い咲き

と言って片づけてしまっても
よいのですが、たまに花の時期
がおかしくなる
というのではなくて、来る年も来る
年もずっと他の花と違った時期に咲く、
変わり者の木もあるのでしょう。
そうした木がいつもの年のように
他と違った時期に花を付けたのだ
としたら、狂い咲きではないのかも。

そんなときに、使う言葉としてこの
「忘れ花」なんて言う言葉はいかが
でしょうか?
仲間たちの花は散ってしまって、
みんなが忘れた頃に花を付ける、
そんな変わり者の木があっても
よさそうな気がします。

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