歌山県東牟婁郡串本町の沖合い約1.8kmの海上に浮かぶ面積およそ9.93km2、周囲26kmを誇る和歌山県下最大の島『串本町大島』があります。
「大島」という名前の通り、つい最近までここは船でしか行くことの出来ない島でした(1999年に橋が完成)。
この島の北東端の崖の上に樫野崎灯台があり、この灯台から400m程離れた場所に軍艦エルトゥールル号の慰霊碑が建っています。119 年前の明治23年(1890年)9/16に樫野崎沖で遭難沈没したトルコ軍艦の慰霊碑です。
この遭難では 600人に近いトルコの将兵が亡くなりましたが、この大島の人たちの救護活動によって69名が生き残り、本国に生還することができました。大島は現在でも崖の多い島に、民家が点在するといった寒村と表現しても間違いでは無いところ。
明治の中頃、この寒村の人たちが言葉も通じずどこの国の人かも解らない遭難者の救助を、誰の命令を受けたわけでもないのに行ったのです(政府にこの遭難の第一報が届くのは 3日後のことです)。
当時の村の人たちはただ、「災難から人を救うこと」だけのために必死に行動したわけです。この災難から救った行為は、生き残ったトルコ将兵によって本国に伝えられ、 119年を経た今もトルコでは学校の授業でこのことが子供達に教えられているとのことです。
1985年のイラン・イラク戦争激化でイラン在住の日本人にも危機が迫った際、取り残された 200名以上の日本人を救出したのは、危険を冒して飛来したトルコ航空機でした(日本では民間機は安全が保証されないことから、自衛隊機は海外派遣の問題から救出に向わなかった)。
当時日本では、トルコが日本人を助けるために特別機を飛ばした理由がわからず「日本からのトルコへの経済援助が強化されたためか」などという的はずれな論を大手新聞が掲載したほどです。この論を読み、トルコが行った行為の真意が誤って伝わることを懼れた駐日トルコ大使は後日、その新聞社に投書を送りました。その投書の最後は次のように結ばれています。
(前略)
トルコは難儀している人々に手を差しのべたのです。
仮に貴国民が似たような事態に直面したならば、同じような行動をとられたことは疑いの無いところです。この点を肝に銘じておいていただきたいのです。
現在でも樫野崎の慰霊碑は大島の人々によって清掃されています。また駐日トルコ大使、駐日トルコ大使館付武官はその在任中に必ず串本町を表敬訪問し慰霊碑に詣でるそうです。
2008年には来日したトルコ大統領が串本町を訪れ、慰霊碑の建つ樫野崎に向かいました。こうした串本大島とトルコとの交流は今も続いています。
119年前、ただ「災難から人を救うこと」のために働いた人たちがいたこと、その人たちのこと忘れない救われた側の人々がいること、その二つのことを私たちは後世にきちんと伝え遺していきたいものです。
この話は良く知ってるつもりでしたが、
こうやって改めて読んでいくと、
知らないことばかりでした。
またこうしてコメントのところで、
新しい発見が出てくるのかな。
それが楽しみです。
写真がたくさんで、
今回はそれにも驚かされました、
凄いですね。
これだけ集めるのも大変だったのでは?
紀伊大島という島について、
地形的な事などを教えて下さい。
前にTVで紹介されたのを見たように思います。
※まめしばが、かっわい~~~!
最初に豆柴に目を奪われてしまいました。
次に、記事の写真の豊富さと、
素晴らしさに、また目を奪われました。
もう、本当に素晴らしBLOGになりましたね。
串本大島って、こうした歴史的にも
姉妹都市はトルコなんでしょうね。
最近、この姉妹都市という関係を、
何とか公園は何とかの国に似ているから、
姉妹都市になりました・・のような関係が
増えてます。
悪いことではないけど、なんだか
そんなつながりは薄いような感じがして、
ちょっと変な感じです。
歴史的な関係というか、
大きな交流や援助関係で繋がっていると、
本当の姉妹のように感じますね。
タイトルのビジュアルが変るたびに、
感動してましたが、
今回は、ニッコリ・・です。
かわいい写真も使われるんですね。
それも、前回のお月見の写真で、
うさぎの人形さんの写真を使われて、
ちょっとしたワンクッションでしたね。
そのあたりの配慮がすごいんですよね。
自然とどんなビジュアルでも受け入れられるやり方って
準備と計画がしっかりして無いと出来ません。
万全の態勢ですよねぇ。
すごい。
それに記事も、判りやすいし、
写真も、記事が古いので、
少しでも理解を深めれるように、
増やしたのではないでしょうか。
雑誌の編集をやった事があるので、
その辺は敏感なんですよ。
もう、
感動しっぱなしです。
毎回ユニークな記事なので、
ドキドキしながらアクセスしてます。
串本町出身の有名人
って誰が居ますか?
コメントを有難うございました。
紀伊大島(きいおおしま)は
和歌山県東牟婁郡串本町の
沖合い約1.8kmの海上に浮かぶ
面積およそ9.93km2、周囲26kmを誇る
和歌山県下最大の島です。
元来より大島と呼ばれてきましたが、
全国的に大島の名を持つ土地は数多く、
それらとの区別のため「紀伊」を附し
「紀伊大島」と呼ばれるようになりました。
また、串本大島とも呼ばれています。
人口はおよそ2,000人で、
和歌山県で唯一の
離島振興対策実施地域ともなっています。
座標 :北緯33度28分05秒
東経:135度49分41秒
面積 :9.93km?
海岸線長 :26.0km
最高標高 :171.2m
所在海域 :太平洋
所属国・地域 :日本・和歌山県
コメントを有難うございました。
串本大島の姉妹関係にあるのは、
■ヤカケント町(トルコ共和国)
■ヘメット市(アメリカ合衆国カリフォルニア州)
■メルシン市(トルコ共和国)
です。
国際交流という意味合いでいえば、
姉妹都市という関係が築けるのは、
とても大切な事です。
ただ、
成るほど・・という納得があっての
姉妹都市関係であって欲しいとも思います。
そうでなければ、
価値関係に不調和もあり、不協和音が
どこかで生まれてしまうからです。
この件については、
いつかまた論じることが出来たらと思っています。
コメントを有難うございました。
串本町出身の有名人は・・・
■浜野徹太郎 - 政治家、故人
■明石家さんま - タレント、旧古座町出身
■大川真郎 - 前日本弁護士連合会
事務総長 旧古座町出身
■寺田雅彦 - 日本ビクター前代表取締役社長、
現同社特別顧問 旧古座町出身
■岩見よしまさ - お笑いコンビ「飛石連休」、
旧古座町出身。
明石家さんま さんは
奈良県出身というイメージが
強いのですが、
生まれたのは串本町だったんですね。
この記事の話を、おばあちゃんにしたところ、
よく内容を知っていました。
同時に、いろんな当時の思い出話が
出て来て、なんと、2時間もおばあちゃん
ひとりでしゃべってましたよ。
この民謡?って、ここの歌ですか?
ここはぁ~ くぅ~しぃもぉとぉ~♪
むかいぃはぁ おぉしぃまぁぁ~♪
なかぁぉとりもぉつぅ れんらぁくせぇぇ~ん♪
何度も聞かされて、覚えてしまいました。
串本では釣り場があるそうですね。
父が昔、何度か車で泊まりがけで
出掛けていました。
私もついて行きたかったのですが、
遠いので、車酔いしちゃうんです。
そんなこと、思い出しながら
この記事を読んでいました。
写真も凄いですね。
学校の勉強ってなんだったのか、
考えさせられてます~。
タイトルのわんちゃん、かわいいですね。
癒されます。
それにしても、
ほんと、京のほけん屋さんって、
クリエイティブな感性が高い方ですね。
尊敬します。
ほんとにテーマが豊富ですね。
宇宙に、自然に、歴史にと、
数多くの話題をここで読みながら、
自分の無知加減を恥ずかしくさえ
思います。
でも、ほんとコメントをきちんと返して、
どんどんと話が展開出来る「技」には、
驚かされます。
タイトルバーの写真も、記事の写真も、
どこまでも力を抜かない「すごさ」も、
感動の極みです。
串本大島の見どころを、
簡単に教えて下さい。
いやもう、驚愕の極みです。
このテーマについては、
大学での専門課程においても、
教科のひとつになるほど、
日本の歴史的にも、
トルコとの外交においても、
重要なカリキュラムのひとつとして、
採用する学校があるくらいです。
それをさらりとまとめ上げた力量と、
写真の素晴らしい構成には、
頭が下がります。
この島で有名な水門神社について、
追記致します。
祭神は「誉田別命(ほんたわけのみこと)」
大正三年(西暦1914年)八幡神社、
若宮神社とエビスの鼻に祀られていた
恵比寿神社を合祀し、
現在の「水門神社」が造園されたそうです。
水門神社の「水門」は、
大島浦の古い呼び名で、
天治二年ころにでており「水門浦」または
「水門村」と当時は呼ばれていたそうです。