今回の話はグッと古く、紀元前 6世紀の出来事です。
◇この世界は球
「この世界は空間に浮かんだ球である」
紀元前 6世紀のギリシャで、こう言って聴衆を驚かせた人物がいました。
その名はピタゴラス。
ピタゴラスは世界を旅しながら、数学の分野で優れた業績を遺したギリシャの哲学者です。
「三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい」
というピタゴラスの定理でおなじみのあの方です。
「世界は宙に浮かぶ平らな円盤である」というのが、当時の他の大多数の哲学者の意見でしたが、ピタゴラスはこれに異を唱えた訳です。
◇月食は大地の影
ピタゴラスをはじめとする当時の哲学者の幾人かは、月食が私たちの住む大地(地球)の影であると既に考えていました。
そうした目で月食の時の影の形を観察したピタゴラスは、こう考えました。
もし私たちの住む世界が円盤ならば、月に落ちるその影の形は私たちの世界と月の位置関係によって、その形が大きく変わるはずだと。
お皿を真上から照らせばその影は円ですが、斜めから照らせば楕円形になり真横から照らせば、幅の狭い線になります。自分たちがそのさらの上に乗っていると考えると、月が真上に見えるときの月食の影は円形だが、斜めに見えるときや、月が昇るときや沈むときの月食の影は楕円や直線にならないとおかしいはず。
と、ピタゴラスは考えました。そしてどの角度から照らされても影が円形に見える形は何かと考え、「それは球である」と結論したのです。
◇天体は完全な形のはず
ピタゴラスは天文学者というより数学者です。そしてその数学者であるピタゴラスは、もっとも完璧な幾何学図形は円だが、もっとも完璧な立体は球であると考えました。私たちの住むこの大地も、空に浮かぶ天体である月や太陽も神が作ったもの。神が作ったものが完璧でないはずはない。それならその形もきっと完璧なはず。
月も太陽も見かけは円であるが、球を遠くから眺めてもそれは円に見える。
これだけでは天体が円形なのか球形なのかの判別はできない。
しかし月食を観測し、月に落ちる我々の大地の影を観察すると、それは天体が球形でなければ説明のつかないことから、
この世界は空間に浮かんだ球である
と結論したのでした。
部分月食を眺めて、「ああ、私たちの住む世界は球形なんだな」と2500年前のピタゴラスの気分に浸って感じてみてください。
「神が作った天体の形は完璧なはず」というピタゴラスや彼の後継者達の観念論はやがてヨーロッパに広く普及し、それから2000年あまり後のルネッサンス期の学者達を悩ませることになります。
前の前の記事で、みどり虫さんからの
説得力のあるコメントに、
ハッと気がつきました。
時間的にも、相当にお辛い想いを、
このコメント返しでは体感されて
いるはずですね。
そんな事を微塵も感じさせないほど、
毎日、毎日、きちんとした回答を
いただいていて、気にしていない訳
ではないのですが、すっかり、
甘えていたように思います。
どういう風にするのがいいのか、
この場に集うみんなは、気持ちの上で
繋がっていると信じていますので、
暗黙の上でも、コメントの数などを
見ながら調整すべきなのかもと、
思ったりしました。
でも、
ここに集いたいんですよね。
勝手だなぁと思いながら、
本心も、書かせていただきました。
月食とコロンブスの関係について、
聞いたことがあります。
どんな内容だったか・・忘れてしまいました。
教えていただけたら嬉しいです。
コメントに感謝致します。
コロンブスは1492年にアメリカ大陸を
発見したことで有名です。
1504年には4度目の航海でアメリカに
渡っています。
この時は、西インド諸島のジャマイカ北岸で
一時孤立し、 食料が手に入らなくなりました。
これはコロンブスの[行いに] よるもので、
現地の人々と折り合いが悪くなったからです。
コロンブスは小さなブリキの笛やベルと
食料を交換していたのです。
ここで、コロンブスは一計を案じ、
月食が予報されて いる3日前に
「協力しないなら、月を隠してしまう」と
脅かしたのでした。
3日後、予報通りに月食が始まり、
驚いた 現地の人はコロンブスの前に
ひざまづき、月をふたたび光らせるように
お願いしたということです。
起こるとはかぎらないのですか?
こういうお話の進展は、驚くほど
計算されたものが記事の中に
隠されています。
患者さんや、看護師仲間と
このブログの記事の話をすると、
お仕事を忘れ、時間を忘れて
しまうほどです。
私も、コメント投稿は今後、
あれこれと考えながらしていこう
と思います。
毎週、からず数回は来ているので、
ついつい、コメントを残したくなるのですが、
そこにも、配慮が必要でしたね。
反省しています。
どのように見えますか?
あまり月食を望遠鏡で見ていた
という話を聞きませんね。
望遠鏡で眺めれば、月食よりも、
巨人軍の上に優勝旗がはためいてる
のが見えると嬉しいんですけどねぇ。
CS戦の後でもね。
原にはハラハラさせられるねぇ。
今年は。。
なっていることに気づきました・
二十八宿 星 [せい]
療養の始め,馬乗りなどに吉.
婚礼,葬儀は凶
二十七宿 星 [せい]
療養の始め,馬乗りなどに吉.
婚礼,葬儀は凶
いかがですか?
二十八宿と二十七宿がまたく同じ
になっているのは、間違いではないので
しょうか?
ある日の暦注をどうやって計算して
いるのでしょうか。
暦に関しての数式なんていうものは、
どのくらいの高度さなのか判りません。
それにしても、難しいですね。
昔からの何かに縛られた法則のような
ものに興味はあるものの、京のほけん屋さん
のように、専門的に解釈していくには、
あまりにも頭の構造が違いすぎるようです。
面白い話だと思いました。
そこで私からも、お伺いしたいことが・・。
二十八宿と二十七宿が同じになる
期間はいつまでなのでしょうか。
こうした暦のカウントなどには、
関心の度合いが高まりますね。
京のほけん屋さんの興味の幅にも驚きです。
松田聖子さんのディナーにも行か
れたようですし~。
こんな難解なこともご理解されてる。
いったいどれだけのカテゴリーが
頭の中におさまってるのでしょうね。
充電器が見あたらず困っています。
近頃のカメラは専用のバッテリーで、
一度充電するとかなり長い間再充電
しなくても使えます。
今探しているカメラも、前回バッテリーを
充電してから最低でも 2ヶ月は経って
います。これだけ長くもってくれることは
もちろんよいことなのですが・・。
さて、前回バッテリーを充電した後、
充電器を何処にかたづけたのか・・・。
整理が悪いといわれればそれっきり
なのですが、こうした充電器をまとめて
おいて置く場所を探してみても
出てくるのは、ほかの機械やデジタル
カメラの充電器ばかり。
デジタルカメラの充電器があっても皆、
専用のバッテリーを使ってくれている
ので、充電器に互換性は無し。
困りました。
ああ、あのバッテリー充電器、何処に
片づけたかなぁ。
60歳なのでしょうか。
十干十二支の組み合わせですと、
120通りとなります。それなのに半分
の60通りしかないようです。
10と12の最小公倍数が60である。
との解説を見たことがあるのですが、
よく分かりませんでした。
お教えいただけたら幸いです。
土星・火星・金星とが並んでいて
賑やかでしたが、いまは火星と土星は
早めに沈んでしまうので西の空は少々
寂しくなりました。
その代わり、木星が東の空に姿を
現すようになりましたので、空全体の
バランスは保たれているかな?