あんなこと こんなこと 京からの独り言

「京のほけん屋」が
“至高の薀蓄”を 京都からお届けします。

幸せ

2013年09月10日 | うんちく・小ネタ
2
湖上に住む人々になぜか惹かれることがあります。
カンボジア・<wbr></wbr>トランサップ湖の水上生活者をTVで見たときは度肝を抜かれました。
水の上に住居も学校も市場もあって、100万人ほどが生活をしていたのです。
どうして不便な水上で暮らすのか? 
ひとつは外敵から逃れるため、そしてもうひとつは移動が楽で、何より生活用水が容易に入手できるからなのでしょう。

チチカカ湖にはたくさんの浮島があります。<wbr></wbr>トトラという葦を積み重ねたその浮島に住むのはウル族という人たち。<wbr></wbr>彼らは湖の魚を獲って生活をしています。
魚が余れば、農村でじゃがいもと物々交換。<wbr></wbr>そんな原始的な生活を連綿と繰り返してきたのです。
                                   3
                                                                    彼らはすべてを湖から得ています。トトラの浮島に、<wbr></wbr>トトラで作った粗末な家に住むという生活様式。
かつてはトトラで造った船で移動したそうですが、<wbr></wbr>現在ではエンジンが付いた木造船で魚を獲っています。
「不便じゃないですか?」
ルポライターが質問をすると、<wbr></wbr>何を変なことを聞くんだという表情を浮かべるウル族の家族たち。

                                  551_2

                                                                    そのとき、わが国の”シャワーつきトイレ”<wbr></wbr>のことを思い浮かべました。
人間の欲望というのは限りがないもので、<wbr></wbr>水洗トイレやトイレットペーパーだけでは満足できず、シャワーつきのトイレまで考え出したのですから。


政治学者、姜尚中氏の著作「ニッポン・サバイバル」<wbr></wbr>を読んでいると、こんな記述がありました。

『どうしたら「幸せ」になれますか?』という章の中の一節です。

現代社会では、快・不快が幸福の基準になりがちです。しかし「<wbr></wbr>今日は晴天、だから気分がいい」「明日は雨が降る、うっとうしいな」と、<wbr></wbr>天候によって人の気分はコロコロと変化するように、<wbr></wbr>本当の幸福はそのときの気分によって測られるものではないのです。(中略)つまり私にいわせると、他者に関心を持たないで、<wbr></wbr>自分の幸せを社会や世界と切り離して考えること自体が、<wbr></wbr>じつはものすごく非現実的です。世界と切り離された幸せなんてディズニーランドのようなものです。<wbr></wbr>一歩外に出れば否応なしに現実が待っています。結局、幸福のリアリズムとは世界の物事に関心を持ち、<wbr></wbr>それと自分がどうつながっているのかを知ることにあると思う。そう考えると、<wbr></wbr>自ずから他者との交わりというものが広がっていくと思うし、<wbr></wbr>広がらざるを得ないと思うのです。その広がりの中から、<wbr></wbr>きっと幸せの方法を見つけだすことができるのではないでしょうか。

氏は、幸福は快・不快じゃなくて、”人格”<wbr></wbr>にあると語っています。
そして、社会との関わりの中で、幸せが見えてくると。
様々な社会と心の開放と繋がりが、「幸せ」<wbr></wbr>になるということなのでしょう。
1