ピカソ・マニマニア

ピカソの91年を 詩にしました。
カテゴリーのピカソを クリックして下さると 嬉しいです。

家紋の始まり  吾妻鏡より

2012-06-27 23:18:51 | 吾妻鏡

 

例によって 頼朝牽制の為に 奥州の藤原氏を残しておきたい

後白河法皇とのやりとり あれこれ。

 

文治五年(1189年) 7月19日。

 

集した夥しい兵を 鎌倉に止め置けないので 奥州攻めを頼朝は

決行します。 慌てた後白河法皇は 綸旨を急ぎ追いかけて送ります。

頼朝が受け取ったのは 東北に入ってからでした。

 

城四郎長茂という囚人がいた。 平将門を討った 余五将軍・平維盛

の子孫で 平氏としての自負を捨てない勇士でした。 敵ながら天晴れ

と頼朝は奥州征伐に連れて行きます。 長茂のいう事には 剣花菱の

家紋をつけた旗を差したい。 この旗を見て逃亡している家臣が集まって

来るだろう。  頼朝はなるほどと感心します。  長茂の云う通り 10日

も経たないうちに 200人が集まりました。

 

源平の合戦の時は 源氏の白旗、 平家の赤旗 どちらかでした。

これ以降 それぞれの主は家紋を作り 家来たちが迷わないように

旗に標(しるし) としてつけるようになりました。

 

 

そんなこんなの 今日の吾妻鏡講義。

     風呼   でした        

 

                  ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 五尺一寸の白杖 ”藪原検校”... | トップ | 天才について »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

吾妻鏡」カテゴリの最新記事