サロネンがストックホルム室内管とともに80年代後半に演奏した「新しい世代のメタモルフォーゼン」です。このコンビの演奏は先の「浄夜」でもそうでしたけれど、カラヤンやフルトヴェングラーが振った時の覆いがたく滲み出るくるであろう、この曲の文学性のようなものは(例えばリヒャルト・シュトラウスの晩年の心境だとか)、きれいさっぱりと洗い流し、非常にビューティフルな弦楽合奏の傑作として演奏しています。例えばカラヤンの演奏を聴くと、なにやら終戦直後の廃墟のようになった被災地の様子を映したドキュメンタリー・フィルムなんかが音楽から喚起される映像としてイメージされたりする訳ですが、こちらではそういうイメージはほとんど湧かず、むしろちいさいけれどござっぱりしたホールでの演奏会の風景だとか心地よく清潔なリスニング・ルームみたいなイメージが思い浮かんだりします。
また、これも先の「浄夜」で感じさせた点ですが、このコンビの演奏にはひんやりとした独特の温度感の低さと、ゴデゴテしてないさっぱりとした響きがあって、この曲のやや沈痛な美しさとにとても良くマッチしています。フレージングというか歌い回しも清潔そのもので、20分あたりで感極まって号泣するみたいなところでも、節度を弁えた抑制感があって、逆にそのあたりも非常に心地良く響きますし、後半のテーマが再現するあたりの高ぶりと諦念が交錯するような場面では、ちょっとオーバーにいうと夢幻のようなな美しさすら感じさせて、けだし聴き物となっています。オーケストラの方も、ベルリンとかウィーン、あとアメリカのメジャー・オーケストラのような精緻さや風格のようなものはないとしても、ややこぶりでセンス良く演奏している様にはけっこう好感がもてますね。
ちなみに、フィルアップにはやはり最晩年の曲である「二重小協奏曲(クラリネット、ファゴット、ハープ、弦楽合奏)」とサロネン自身が弦楽合奏用に編曲したオペラ作品「カリプッチョ」の前奏曲が収録されていますが、前者は厳冬の中にふと訪れた小春日和みたいな曲で、後者は元々壮麗であったに違いない原曲をぐっと典雅な趣を強調した編曲になっているように感じました(ちょっと全盛期のリヒャルト・シュトラウスくさい仰々しさを感じないでもないですが....)。
また、これも先の「浄夜」で感じさせた点ですが、このコンビの演奏にはひんやりとした独特の温度感の低さと、ゴデゴテしてないさっぱりとした響きがあって、この曲のやや沈痛な美しさとにとても良くマッチしています。フレージングというか歌い回しも清潔そのもので、20分あたりで感極まって号泣するみたいなところでも、節度を弁えた抑制感があって、逆にそのあたりも非常に心地良く響きますし、後半のテーマが再現するあたりの高ぶりと諦念が交錯するような場面では、ちょっとオーバーにいうと夢幻のようなな美しさすら感じさせて、けだし聴き物となっています。オーケストラの方も、ベルリンとかウィーン、あとアメリカのメジャー・オーケストラのような精緻さや風格のようなものはないとしても、ややこぶりでセンス良く演奏している様にはけっこう好感がもてますね。
ちなみに、フィルアップにはやはり最晩年の曲である「二重小協奏曲(クラリネット、ファゴット、ハープ、弦楽合奏)」とサロネン自身が弦楽合奏用に編曲したオペラ作品「カリプッチョ」の前奏曲が収録されていますが、前者は厳冬の中にふと訪れた小春日和みたいな曲で、後者は元々壮麗であったに違いない原曲をぐっと典雅な趣を強調した編曲になっているように感じました(ちょっと全盛期のリヒャルト・シュトラウスくさい仰々しさを感じないでもないですが....)。
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