先日観た「羅生門」の前作に当たる1950年の作品。こちらの松竹で製作されている。出演陣は三船、志村に加え、小沢栄太郎、左卜全、千石規子といったところで、まぁ、いつも布陣といってもいいような感じだが、今ひとりの主演格として山口淑子が出てくるのは松竹らしいところなのかもしれない。物語は次の時代劇の「羅生門」とも刑事物の「野良犬」ともかなり趣が違っていて、いわゆる「マスコミの暴力」がトリガーとなってこの物語がはじまる。大筋としては、旅先で出会った若い画家とオペラ歌手がたまさか同じ旅館にいたことから、カストリ雑誌によってゴシップ記事を書かれスキャンダルに....、やがてそれはカストリ雑誌を相手どった告訴にまで発展するが、当の画家が雇った弁護士は、人間的な弱さから被告側とも通じてしまう....といった、今に観てもかなりモダンなストーリーになっている。
ともあれ、本編における「マスコミの暴力」はそれほど強烈なテーマになっていない。特に後半は志村喬扮するしょーもない弁護士の行状に振り回される主人公らが醸し出す人間くさいドラマが主眼になっているが、基本的にはそれほど深刻でも、醜悪でも、悲劇的な訳でもなく、主人公達もどっちつがずでうろうろしているようなところがあり、黒澤作品らしいドラマトゥルギーを期待していたこちらとしては、妙に淡々としているところが気にかからないでもなかった。
また、後半はこの時代の映画としてはめずらしい裁判所が舞台となるが、主人公達の敗訴が決まりかけたところで、意外な展開となるあたりは、明らかにフランク・キャプラ風なバタ臭さがあって、意外なおもしろさを見せる。バタ臭さといえば、映画に登場するアイテムもバイク、画家、オペラ歌手、クリスマス・ツリー、クリスマス・パーティー、ほたるの光、星....などなど明らかに当時に日本映画らしからぬ舞台道具が揃っていて、この映画のバタ臭さを倍加していた。
という訳で、一見したただけだが、個人的にはイマイチといったところか。昭和20年代中盤の風俗を観れるのは楽しいし興味深いのだが(昭和25年の日本でクリスマスという風俗があれほど普及していたのはちと驚き)、マスコミの暴力に対する怒りもきっかけに過ぎないし、弁護士を含む主人公達の行動がどうも終始ドラマ的に煮えくらない感じがして、今一歩盛り上がりに欠けるような気がするのだ。松竹の制作だから、アメリカ風で都会的なヒューマニズム作品を撮ろうとしたが、思いの外、黒澤的な苦味が出てしまい、そのあたりをうまく収束させることができず、ドラマとしてはちとメリハリがないものになってしまった....といったところかもしれない。
ともあれ、本編における「マスコミの暴力」はそれほど強烈なテーマになっていない。特に後半は志村喬扮するしょーもない弁護士の行状に振り回される主人公らが醸し出す人間くさいドラマが主眼になっているが、基本的にはそれほど深刻でも、醜悪でも、悲劇的な訳でもなく、主人公達もどっちつがずでうろうろしているようなところがあり、黒澤作品らしいドラマトゥルギーを期待していたこちらとしては、妙に淡々としているところが気にかからないでもなかった。
また、後半はこの時代の映画としてはめずらしい裁判所が舞台となるが、主人公達の敗訴が決まりかけたところで、意外な展開となるあたりは、明らかにフランク・キャプラ風なバタ臭さがあって、意外なおもしろさを見せる。バタ臭さといえば、映画に登場するアイテムもバイク、画家、オペラ歌手、クリスマス・ツリー、クリスマス・パーティー、ほたるの光、星....などなど明らかに当時に日本映画らしからぬ舞台道具が揃っていて、この映画のバタ臭さを倍加していた。
という訳で、一見したただけだが、個人的にはイマイチといったところか。昭和20年代中盤の風俗を観れるのは楽しいし興味深いのだが(昭和25年の日本でクリスマスという風俗があれほど普及していたのはちと驚き)、マスコミの暴力に対する怒りもきっかけに過ぎないし、弁護士を含む主人公達の行動がどうも終始ドラマ的に煮えくらない感じがして、今一歩盛り上がりに欠けるような気がするのだ。松竹の制作だから、アメリカ風で都会的なヒューマニズム作品を撮ろうとしたが、思いの外、黒澤的な苦味が出てしまい、そのあたりをうまく収束させることができず、ドラマとしてはちとメリハリがないものになってしまった....といったところかもしれない。
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