以前にも書いたけれど、私は中学時代からひとかどのミステリー・ファン....いや、探偵小説ファンを気取っていた。高校時代ともなれば、探偵小説を読み漁るだけでなく、雑誌「幻影城」を定期購読したり、様々な評論を読んで読んでみたりと、今から思えばけっこう本格的なファンだったように思うが、やはり興味の中心は密室だの、アリバイ崩し、読者への挑戦....といった本格物にあって、サスペンス・ミステリ的なものにはほとんど感心がなかったし、あえて読んだとしても、自分的にはほとんど記憶に残らない作品ばかりだった。
アイリッシュの「幻の女」はほとんど唯一、その例外といえる作品である。サスペンス・ミステリの古典ともいえる作品で、終戦直後にこれを読んだ乱歩が感激して「世界10傑に値する」とか激賞して、一躍知れ渡った作品だが、自分が読んだのはそういう理由によって、けっこう後、多分二十歳くらいの時だったように思う。当時の記憶はほとんどないが、トリックだのなんだのというより、独特の雰囲気と、死刑まであと何日というカウントダウンというせっぱ詰まったストーリー、そしてラストの大どんでん返しと....と、一気に読了し、「さすがにこれは名作だ」と膝を打ったことだけは覚えているのだが、それから約30年後の今日、ほとんど気まぐれこの本を読んでみた(よく自宅に残っていたよな)。
さて、再読して感じたのは、冒頭の有名な書き出しに象徴されるように、この作品、ニューヨークの雰囲気がもうムンムンするように漂っていて、これがなんとも独特の雰囲気を醸し出している。作品のストーリーなどもさることながら、まずはこの雰囲気の中、かぼちゃ色の帽子をかぶった謎めいた女(この後「幻の女」ににる)に主人公が出会い、彼女とともにバー、食事、劇場、そして元のバーに戻るというエピソードが、様々な雑踏の描写ととも実にいい感じで描きだされている。私はニューヨークなど行ったこともないが、こういうストーリーはニューヨークであるが故のリアリティともいえそうで、実をいうと今回再読してこの部分にもっとも魅力を感じてしまった。
ストーリー的には全く忘れていて、ほとんど初めて読むのとほとんど変わらないくらいだったが、主人公に変わって探偵役を務める親友、恋人が、やはりニューヨークを彷徨うように「幻の女」を探していくプロセスも、スリルとともにある種の詩情すら感じさせて読んでいて楽しかった。もっともラストは広げすぎた謎をちとまとめあぐねたようなところがないでもないし、「幻の女」の正体はそのままにしておいた方がよかったような気がしないでもないが....。いずれにしても、やはりこの小説、冒頭のエピソードがとにかく強烈に魅力的だ。
アイリッシュの「幻の女」はほとんど唯一、その例外といえる作品である。サスペンス・ミステリの古典ともいえる作品で、終戦直後にこれを読んだ乱歩が感激して「世界10傑に値する」とか激賞して、一躍知れ渡った作品だが、自分が読んだのはそういう理由によって、けっこう後、多分二十歳くらいの時だったように思う。当時の記憶はほとんどないが、トリックだのなんだのというより、独特の雰囲気と、死刑まであと何日というカウントダウンというせっぱ詰まったストーリー、そしてラストの大どんでん返しと....と、一気に読了し、「さすがにこれは名作だ」と膝を打ったことだけは覚えているのだが、それから約30年後の今日、ほとんど気まぐれこの本を読んでみた(よく自宅に残っていたよな)。
さて、再読して感じたのは、冒頭の有名な書き出しに象徴されるように、この作品、ニューヨークの雰囲気がもうムンムンするように漂っていて、これがなんとも独特の雰囲気を醸し出している。作品のストーリーなどもさることながら、まずはこの雰囲気の中、かぼちゃ色の帽子をかぶった謎めいた女(この後「幻の女」ににる)に主人公が出会い、彼女とともにバー、食事、劇場、そして元のバーに戻るというエピソードが、様々な雑踏の描写ととも実にいい感じで描きだされている。私はニューヨークなど行ったこともないが、こういうストーリーはニューヨークであるが故のリアリティともいえそうで、実をいうと今回再読してこの部分にもっとも魅力を感じてしまった。
ストーリー的には全く忘れていて、ほとんど初めて読むのとほとんど変わらないくらいだったが、主人公に変わって探偵役を務める親友、恋人が、やはりニューヨークを彷徨うように「幻の女」を探していくプロセスも、スリルとともにある種の詩情すら感じさせて読んでいて楽しかった。もっともラストは広げすぎた謎をちとまとめあぐねたようなところがないでもないし、「幻の女」の正体はそのままにしておいた方がよかったような気がしないでもないが....。いずれにしても、やはりこの小説、冒頭のエピソードがとにかく強烈に魅力的だ。
アイリッシュはあの独特な雰囲気がよいのですねぇ。
ちなみに私の好きなのは、究極のラブ・ストーリーの「暗闇へのワルツ」、珍しく希望を持って終わる「暁の死線」、驚愕のラストの「夜は千の目を持つ」です。
アイリッシュというかウールリッチについては、あんまり熱心な読者ではないので「暁の死線」と「黒いカーテン」くらいしか読んだことないですが、本当にむせかえるような都会の香りただよっていて独特ですよね。ことにカボチャ色の帽子とのランデブーを続いた序盤は最高っす。くだんの女もやけに魅力的で、帽子をとったら平凡な女だったみたいなくだりが逆にそそらます(笑)。
主人公キンが殺人現場で目を覚まして物語が始まりますが、今思うとシドニー・シェルダンの逃げる男(マイナーかも!?)などは、手法がこの作品に似てる様な気が・・・。
子供心に夢中で読んだアイリッシュ。実は乱歩も絶賛していたと言うのは以外ですし、まったく知りませんでした。
幻の女、是非読んでみたいと思います。
戦争直後これを読んだ乱歩が激賞していたのは、
当時のいろいろな文献からもうかがい知れますが、
とにかくものすごく感激したらしく
至るところで吹聴....じゃない(笑)
啓蒙していたようです。
>幻の女、是非読んでみたいと思います
今の感覚ですと、物語の仕掛け、トリックなどは
けっこう風化しちゃったところありますけど
ニューヨークの風俗小説としてもおもしろいので
ぜひ一読ください。
私はクロフツでも再読してみようかな(笑)。
その代わりですが、『ポー名作集』、『三匹の盲ネズミ』アガサ・クリスティ、『殺人計画』ジュリアン・シモンズの三冊を購入しました。
その中でも『ポー名作集』は、推理小説ファンには非常に勉強になる一冊だと思いました。(当時の挿絵入りです)
ただクロフツやクインなどのように、後の有名作家ほどに物語の深みはないと思いました。
それでもそれらの作品のパイオニアとしての発想力は、とてつもなく偉大ですし尊敬したいと思います。
ポーの作品を読んで思いましたが‘明と暗’が非常にはっきりしていますね。(ほとんど暗い)
希望と若さに溢れた作品、破滅的で暗い作品の部分がはっきりとしています。
この本の中の、モルグ街の殺人、盗まれた手紙、黄金虫などは明るく爽やかで、私としては大好きです。
しかし後の不遇の人生を歩む作者の事を思うと、この希望と爽やかさに、ややセンチになってしまいます。(O・デュパンは正真証明ホームズでは!?) ★最後に、長々とすいませんでした。(ただ、ポーを読んで、久しぶりに小学生の頃の自分に戻ったような気がします。面白かった!。)
/ 後の有名作家ほどに物語の深みはないと思いました。
ポーは探偵小説的に読んでしまうと、確かに雰囲気だけみたいなところはありますよね(あんま記憶にないですが....)。芥川龍之介に「藪の中」という推理小説めいた作品がありますが、あれを推理小説として読んでも、「なんだかなぁ」となるのと似たような感じかもしれませんね。ただ、あのムードは凄いです。「アッシャー家の惨劇」とか悪夢のような雰囲気はちと忘れらません。うーむ、なんだか読みたくなってきたぞ(笑)。