この時期のハイドンの交響曲としては、「告別」の次くらいに有名な曲でしょうか。なにしろニックネームが「マリア・テレジア」という当時の皇妃の名前ついていて、これだけでも華やかで格調高い曲に違いない....と、聴く前からなんだかわくわくしてくるようなところがあります。ついでにいえば、これが作曲されたのがシュトルム・ウント・ドランク期という、ハイドンとしては第一期「名曲の森」のまっただ中でもあり、内容的にも相応に充実したものが期待できます。
実際に聴いてみると、第一楽章のホルンとオーボエの宮廷風な主題で始まり、上昇していくような勢いと、威風堂々とした佇まいは宮廷的な雅やかな雰囲気がいっぱいです。また、モーツァルト風な天馬空を行くような抜けきったような明るさがあり、いかにも晴れやかな雰囲気で、主題提示部から展開部経て、再現部まで、途中、職人ハイドンらしく巧みな短調への転調なども出てきますが、この楽章ではあまり深追いしていせず、一気に進んであたり、爽快な心地よさが感じられます。
さて、「マリア・テレジア」というニックネームですが、当時(1773年)オーストリアの皇妃だった、彼女がエステルハージ家を訪問した時に、歓迎の意を表して演奏されたことに由来しているようです。もっとも、wikiで調べてみると、この曲は作られたのが1769年ごろとありますから、そもそも皇妃の来場を想定した作られた機会音楽という訳でもなく、後でそれに相応しいとの理由で、選ばれただけということになりそうです。いずれにしても、それらは全てこの第一楽章から来ていると思われます。
ちなみに第二楽章は、この交響曲中最長の約10分半をかけて演奏される緩徐楽章で、これは宮廷風というよりは、かなりベートーベン的な世界に近づいたといってもいい、かなり純音楽的な仕上がりになっています。第三楽章と第四楽章は合わせて約8分程度で、頭でっかちなこの交響曲を駆け足で帳尻合わせをしている感じでしょうか。前者はかなりテンポの早いメヌエットらしからぬ鋭いリズムが印象的。後者は第一楽章のモーツァルト風な雰囲気に回帰して、途中室内楽風なところなどにちょっと寄り道する他は、一瀉千里とばかりに進んでいきます。
実際に聴いてみると、第一楽章のホルンとオーボエの宮廷風な主題で始まり、上昇していくような勢いと、威風堂々とした佇まいは宮廷的な雅やかな雰囲気がいっぱいです。また、モーツァルト風な天馬空を行くような抜けきったような明るさがあり、いかにも晴れやかな雰囲気で、主題提示部から展開部経て、再現部まで、途中、職人ハイドンらしく巧みな短調への転調なども出てきますが、この楽章ではあまり深追いしていせず、一気に進んであたり、爽快な心地よさが感じられます。
さて、「マリア・テレジア」というニックネームですが、当時(1773年)オーストリアの皇妃だった、彼女がエステルハージ家を訪問した時に、歓迎の意を表して演奏されたことに由来しているようです。もっとも、wikiで調べてみると、この曲は作られたのが1769年ごろとありますから、そもそも皇妃の来場を想定した作られた機会音楽という訳でもなく、後でそれに相応しいとの理由で、選ばれただけということになりそうです。いずれにしても、それらは全てこの第一楽章から来ていると思われます。
ちなみに第二楽章は、この交響曲中最長の約10分半をかけて演奏される緩徐楽章で、これは宮廷風というよりは、かなりベートーベン的な世界に近づいたといってもいい、かなり純音楽的な仕上がりになっています。第三楽章と第四楽章は合わせて約8分程度で、頭でっかちなこの交響曲を駆け足で帳尻合わせをしている感じでしょうか。前者はかなりテンポの早いメヌエットらしからぬ鋭いリズムが印象的。後者は第一楽章のモーツァルト風な雰囲気に回帰して、途中室内楽風なところなどにちょっと寄り道する他は、一瀉千里とばかりに進んでいきます。
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