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マーラー 交響曲第5番/クーベリック&バイエルンRSO

2007年02月10日 18時50分04秒 | マーラー+新ウィーン
 クーベリックの5番は確か初めて聴くものです。これまでメータ、ハイティンク、テンシュテットと同曲の演奏を聴いてきた訳ですが、個人的にはこれまでのところこれが一番違和感のないしっくりくる演奏という印象があります。マーラーはベートーベン流の「暗から明へ」という流れを持った交響曲を何曲作っていますが(他に第2、第7など)、この曲の場合、全体を大きく3部にわけた構成の明快さといい、全5楽章の感情の推移がごくごく自然に感得できるメリハリといい、マーラーとしては非常にわかりやすい部類の曲だと思いますが、ここでのクーベリックは主人公が葬送から冥府に至り、そしてやがて天上界へ解脱する....といった交響詩的な物語性はあまり重視せず、3楽章制(もしくは従来の4楽章制+1)の交響曲としてすっきりと演奏しているのがいいです。

 第1楽章から第3楽章までのダイナミズムやドラマチックさはほどほど、例えば第2楽章のグロテスクな第1主題など、続く哀切きわまりない第2主題を引き立たせるための、むしろ露払いのような形でさらりと演奏しているようすら聴こえるほどです。なんていうか、地獄の風景を見せることより、そこに遭遇した人間の恐怖感や畏敬の念をクローズアップしているとでもいったらいいか。私はこの第2楽章をふざけて「地獄巡り」と呼んだりもしているのですが、実はこの楽章の後半、大詰め近くで一瞬勝利の凱旋のような明るいムードに転じる部分があって(もっともすぐにかき消されるのですが)、このあたりその後の展開への伏線になっていたりするように感じたりもする訳ですけど、クーベリックだとこの明るさがひときわ印象的に感じたりもします。

 全体の中心をなす第3楽章は、クーベリックらしい東欧的なエキゾシズムを上品にかもしだしています。スケルツォのリズムを逆手にとったグロテスクさはほどほどで、先日取り上げた9番同様、トリオの田園的な部分になるとうわぁとばかりにクーベリックらしさを満開にします。ふたつめのトリオの美しさなど特筆ものでしょう。
 第3部を構成するふたつの楽章はやや早めのテンポで、これまたすっきりと演奏しています。アダージェットは官能的な美しさというよりは、ちょっとエキゾチックな天上の風景を見せつつも、緩徐楽章として性格をきっちりと押さえているという感じですし、最終楽章は主題が何度も回帰しつつ、大団円を迎えるロンド・アレグロ的な面を全面に出した演奏という感じがしました。

 ちなみにこの演奏は71年収録とのことですが、音質的にはバランスも良く(バイエルンのサウンドは極上ですし)、十分良好なものですが、全体の解像度やレンジ感のようなものは60年代のそれなのが惜しいところ。もう2,3年後だと、グラムフォンの音ももう一皮むけるんですが。

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