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シェーンベルク「グレの歌」第1部/ウィグルスワース&ベルギー王立歌劇場O他

2010年01月02日 17時09分21秒 | マーラー+新ウィーン
 昨年の正月は「トリスタンとイゾルデ」だったけれど、今年は「グレの歌」を観てみることにした。この4月にNHKで放送されたもので、マーク・ウィグルスワースがベルギー王立モネ劇場管弦楽団他を振り、ブリギッテ・ファスベンダーなど歌手を揃えて、2007年にアムステルダム・コンセルトヘボウで上演されたものだ。「グレの歌」といえば、シェーンベルクによる「ロマン派の総括」と呼ぶに相応しい畢生の大作であり、数百人の編成、これをオペラ、歌曲集、オラトリオ、カンタータといった要素をハイブリッドしたような形式で物語を展開させていく、膨大な音楽的情報量を包含した巨大な作品である。
 私はこの作品を昔からけっこう愛好していて、これまでかなりの数のCDを購入してきたが)、その独特な形式故なのか、ストーリーが把握しづらい、音楽的ハイライトがよくわからないところも正直いってなくもなく、いまいち作品を身近に感じることができないうらみもあったのて、映像付きで観れるとは千載一遇とばかりに録画してあったもので、さすがに映像付きだと音楽がよく「見える」のはうれしい限り。演奏シーンの邪魔にならない程度にストーリーを暗示するイメージ映像が出るのもいいい。

 前奏のラヴェルの「ダフネ」を思わせるキラキラした前奏(第1曲)での巧みな楽器のリレーションなど、耳だけだとなかなかすーすー流れていってしまうものだが、こうやって映像で見せてもらえると、聴くべきポイントがよく分かるという感じだ。前奏のムードをそのまま引き継いぎ、調度対になっている感もある幸福感に満ちたワルデマールとトーベの最初の歌(第2,3曲)は穏やかだが、随所になんともいえない世紀末的な美しさがにじみ出ていて陶酔的である(特に第2曲の最後はまるでハリウッド調)。第4曲の冒頭はかなり表現主義的な強烈な響きである。ワルデマールがトーベに逢いに馬を走らせている場面だが、風雲急を告げ的な音楽になっているのは、その後の展開を暗示しているのだろう。オーケストラが凱歌のようなムードに変わると、第5曲のトーベの歌となる。これも後半は賑々しい響きとなる。
 第6,7曲は出会った2人の愛の語らいといったところだろうか、前のセクションと併せてさながら「トリスタンとイゾルデ」の2幕の逢瀬の場面を彷彿とさせる。第8,9曲は、ムードに暗雲が漂い始めたりもするが、当然、トリスタン風の音楽だ。第10曲は一連の「愛の場面」のフィナーレに相当する曲で、ワルデマールによって歌われる。続く第11曲はオーケストラのみによる間奏曲。前曲のムードをそのまま引き継いで始まり、次第に激しさと陶酔感を増しつつ、これまで登場した主題やモチーフを次々と登場させていく様は、さながらソナタの展開部のようで、大管弦楽好きの私には「うー、こりゃ、たまらんなぁ」的な音楽になっている。ベルギー王立歌劇場管弦楽団はちともっさりしたところがないでもないが、まずまずの力演だ。

 第12曲は有名な「山鳩の歌」である。単独の歌曲としても演奏されるこの曲でもって、このふたりの現世での悲劇的顛末(ワルデマール王妃によってトーベが殺害、ワルでマールの悲嘆等)が語られることになる訳だ。当事者同士がピンポイントで物語りを進行させ、そのハイライトでもって、いきなり端折り方(?)をして第1部を終わらせてしまうというのはなかなかおもしろい。「愛の場面」を交互の歌の連なりとして表現した前の場面もそうだが、こういうのはロマン派最終期ならではの絡め手なのであろう。
 ちなみに、トーベ役のアンネ・シュヴァンネヴィルムスは第9曲が最後だが、割と癖のない素直な歌いぷりに、もっと劇的に歌う人もいるのだろうが、オペラの劇性とはちょいと違ったところで成立した曲なので、このあたりが頃合いだという、言い方もできるだろう。山鳩役のアンナ・ラーションはまさに歌曲といった感じの端正な歌である(最後のテンションは凄いが)。という訳でまだ第1部が終わったばかりだが、長くなったので第2部以降は別項にて続けたい。

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