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シェーンベルク「グレの歌」第2,3部/ウィグルスワース&ベルギー王立歌劇場O他

2010年01月02日 17時09分35秒 | マーラー+新ウィーン
 巨大な両端にサンドイッチされた第2部はわずか4分たらずである。登場するのはワルデマールのみ、第1部の主題をいくつか回想しつつ、トーベを失った絶望と悲嘆にくれた彼が神を呪い非難する場面である。ワルデマールを演じるステファン・グールドは見た目らかしてヘルデン・テノールっぽくていい、なにしろここからは彼が主役だ(最後のいいところは語り部にもってがれるが-笑)。いずれにしても、この後ワルデマールは現世的には死に、第三部では幽霊となってグレを彷徨うことになるので、独立しているのだろう。これまた極小から極大へ行き交うロマン派最終ステージならではのやり口といえるかもしれない。

 第3部はワーグナー風に「ジークフリート」か「神々の黄昏」風の序奏でスタート。すぐさま亡霊となったワルデマールが同じく死した家臣どもを引き連れて、神の復讐するためグレに攻め込む様が絵かがれる。映像付きでみると例の「10本のホルン」が壮観だ。続く農民の歌は、ワルデマールの騎行におののく様が歌われる。途中、舞台の裏に並んだ合唱団が「ホッラー!」とかけ声を1回だけやるところがあるが(それだけのために!)、ここでもそのように行われていたかどうか、映像には映らなかった。第3曲は亡霊の家臣達が、最後の審判まで狩りをし続けることを歌っている。当然、男性合唱団によるものだが、劇的でかなり複雑そうなポリフォニーを、ぞくぞくするような凄い迫力で歌っている。こうした迫力は映像付きなら、やはり数段スレートに伝わってくる気がする。
 第4曲はワルデマールによるトーベの追想、音楽的にも第1部のロマンティックなムードが回帰する。第三部を交響曲に見立てるとすると緩徐楽章に相当するパートとともいえなくもない。で、前曲が緩徐楽章とすると第5曲はスケルツォという感じだ。今度は道化師のクラウスという新しい登場人物によって歌われるが、ロマン派以降を感じさせるモダンなオーケストレーションが乾いたユーモアが印象的だ(第三部のオーケスレーションはシェーンベルクが無調時代に入ってから行われた)。

 第6,7曲は神々に攻め入る様がワルデマール(第6曲)とその家臣(第7曲)によって歌われる。当然、4楽章の交響曲というフォーマットに倣うなら、これは最終楽章ということなるだろうが、あまり壮絶なドラマチックさを展開する訳ではなく(そういうところもあるが)、比較的暗い決意表明のような感じである。何故かといえば、朝も近づき彼はやがて浄化されてしまい、この後、本当のクライマックスがこの後続くからである。
 これ以降の3曲(第8,9,10曲)はこの第3部のフィナーレであると同時のこの大曲の全体の総まとめのようになっている。徐々に明かりが差してくるようなオーケストラの序奏(第8曲)に続いて、ハイライトである語り部のパートとなる。例のシュプレッヒ・ゲザングといいう語りと歌の中間をいくようなものだが、これをブリギッテ・ファスベンダーがやっている。ブリギッテ・ファスベンダーで女声の語り部というのは珍しいのではないか。この語り部のパートは枯れきった老人声でやってこそという気がしないでもないが、これはこれで別の音楽的感興がある。ともあれこのパートを浄化された主人公の魂が脇から語られ、ラストの大合唱団による本当のハイライトとなる訳だ。いずれにしても、この最後の2パートは、-聴く時を選びはするが-何度聴いて感激する。今回は映像付きでその高揚感もひとしおである。指揮者もオケ、歌手陣も大熱演で、正月のひととき、この大曲をおおいに堪能させてもらったという感じである。

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