今やナクソスの名物ともなった他ではめったにレコーディングされない珍曲のCD化ですが、これもそののひとつといっていいでしょう。イディル・ビレット女史によるブラームスのビアノ作品全集の一貫らしく、本アルバムは第9巻となっていますが、70分に渡って収録されているのはタイトル通り、ブラームスが作ったピアノの練習曲なのですね。まさかこんな曲があったとは!。
それにしてもこの練習曲集、作品番号もないことからもわかるように、例えばショパンとかリストのそれとはほとんど意味合いが違う、おそらく純粋に運指トレーニング用に作られたものだったと思われます。つまりハノンとかああいった音楽性ではなくて、もっぱら機能性を重視したものと同じような曲だった訳ですが、聴いてみるとけっこう随所にブラームスの香りがするんですね。例えば10番以降の数曲は初期のスケルツォなんかと共通する乾いた諧謔味があるし、20番以降は名曲「ヘンデル主題による変奏曲とフーガ」の運動性を思い出させたり、さらには50番台後半などやはり初期の幻想曲風でもあったりもします。ついでに全般に低い音域が充実している重厚な音はもいかにもブラームス風です(ビレット女史はどうもそのあたりが得意じゃないようですが)。
という訳で、聴いているとなんだか、ヒゲはやした気むずかしそうなブラームスが誰にもみられないように自宅でピアノを黙々と練習しているのをのぞき見している(聴いている)ような、妙に後ろめたいような、それでいてわくわくするみたいな気持ちにさせる作品です。いや、何度も聴くような作品ではもちろんありませんが....。 それにしても、「51の練習曲」なのにどうして88曲なんだろう?。
それにしてもこの練習曲集、作品番号もないことからもわかるように、例えばショパンとかリストのそれとはほとんど意味合いが違う、おそらく純粋に運指トレーニング用に作られたものだったと思われます。つまりハノンとかああいった音楽性ではなくて、もっぱら機能性を重視したものと同じような曲だった訳ですが、聴いてみるとけっこう随所にブラームスの香りがするんですね。例えば10番以降の数曲は初期のスケルツォなんかと共通する乾いた諧謔味があるし、20番以降は名曲「ヘンデル主題による変奏曲とフーガ」の運動性を思い出させたり、さらには50番台後半などやはり初期の幻想曲風でもあったりもします。ついでに全般に低い音域が充実している重厚な音はもいかにもブラームス風です(ビレット女史はどうもそのあたりが得意じゃないようですが)。
という訳で、聴いているとなんだか、ヒゲはやした気むずかしそうなブラームスが誰にもみられないように自宅でピアノを黙々と練習しているのをのぞき見している(聴いている)ような、妙に後ろめたいような、それでいてわくわくするみたいな気持ちにさせる作品です。いや、何度も聴くような作品ではもちろんありませんが....。 それにしても、「51の練習曲」なのにどうして88曲なんだろう?。
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