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ワルターの「復活」

2005年03月23日 23時59分15秒 | マーラー+新ウィーン
 ブルーノ・ワルターはマーラーの愛弟子だった。マーラーの弟子なくらいだから、相当に大昔な人なワケだが、ずいぶんと長生きしたおかげでCBSには、かなりの数のステレオ録音が残っている。これもそのひとつなのだが、ステレオ録音としては珍しく、オケは臨時編成のコロンビア・シンフォニーではなく、ニュー・ヨーク・フィルを振っている。収録は58年だから、ステレオ最初期になるが、とにかくステレオできけるのはありがたい。

 さて、実際に聴いてみると、これがなんとも古色蒼然たる表情をもった演奏で、大昔のマーラー演奏というものは、こういうものだったのかと感を改めて持つ。マーラーの曲が古典化したのは、おおよそ70年代後半以降だったと思うが、それ以降の振幅の激しいダイナミクスを、高精度なオケでストレートに演奏するというスタイルとは明らかに違う演奏なのである。
 とにかく不協和音がガツンとぶつけてくるところは、ひたすら柔らかくオブラートに包みこんで聴かせ、ウィーン風に甘美な旋律は情緒たっぶりに歌う....という、「海のものとも山のものともつかぬひたすら代物」だったこの作品を、なんとかカタギの人間にも分かりやすく聞かせようとと、苦心惨憺しているのがよく分る演奏とでもいったらいいか。
 しかし、それから数十年、リスナーの耳はマーラーのグロテスクな大音響など、別段なんということなく聴けるようになったせいで、逆にこの演奏を風化....いや、時代がかったものにしてしまったともいえるかもしれない(ワルターの穏健な個人様式というのも無視できないが....)。
 
 ともあれ、「復活」といえば、80年代前半にアバド&シカゴ、メータ&ウィーン、ショルティ&ロンドン響あたりの演奏で学習した私としては、この「鄙びた」としかいいようがないマーラー演奏はけっこう新鮮だ。
 第1楽章の荒れ狂う迫力といったものは、後年の演奏には比べるべくもないが、第2楽章、第3楽章の馥郁たるウィーン風の表情は、まるで古い絵葉書を見ているようなノスタルジックな趣があるし、暗黒からひとすじの光明がさしこむような第4楽章の厳かさもさすがに年期がはいったものを感じさせる。また、巨大としかいいようがない第5楽章は、精力的な部分こそ今の耳からすると迫力不足を感じるが、その巨視的な盛り上がり方は、今の低カロリーな音楽づくりとは対極にある「濃さ」がある。

 そんなワケで、ワルターの「復活」、思いのほか楽しく聴けた。これと一緒に収録された「巨人」と「さまよう若人の歌」は「復活」にくらべれば、よりワルター向きにリリカルな作品なので、もっと違和感なく楽しめる。ただ、どちらもオケの人数ケチっているか、響きが薄いのが気にならないでもないが。
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