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MAHAVISHNU ORCHESTRA / Birds of Fire

2005年09月17日 15時58分29秒 | JAZZ-Fusion
 私がロックを聴き始めた1972年頃、この「火の鳥」というアルバムは、ほとんど完全にロックのアルバムとして売られていた、ジャズの方ではどう見られていたのかは知らないが、当時、このアルバムはディープ・パープルやレッド・ツェッペリンを聴くようなロック・リスナーにも売れていたことは確かだと思う。これは当時、これを発売していたCBSソニーの割と戦略的なプロモーションもあったと思うが、マクラフリンというマイルスによって発見されたギタリストが、英国出身で割とロック絡みの人脈とも通じていた点や本家マイルス以上にロック的音楽をマハビシュヌ・オーケストラでやっていたこともその理由だと思う。

 実際、マハビシュヌ関係のアルバムは当時良く売れたんではないだろうか、このアルバムの後、当時人気絶頂のサンタナと共演した「魂の兄弟達」なんかは、ほとんどベストセラーだったような気がする。私もそれに煽られ当時いくつかのアルバムを購入したクチだが、正直に告白すると、これらのアルバムは当時の私にはまったく理解不能な作品だった。錯綜するリズム、複雑なキメ、狂おしいようなテンションで舞い上がるソロ群に彩られたその音楽は、当時、私が聴いていたロックの枠からは完全にはみだしていたのである。これはまったくの想像だけど、ベストセラーを記録したとはいえ、当時いた多くのはロック・リスナーにとってもそうだったのではないだろうか。何故かといえば、これだけ売れたというのに、もっと親しみやすく、ある意味ロック的といえた中期リターン・トゥ・フォーエバーなんかは、ほとんどのロック・リスナーからは無視されていたからだ。

 客観的にみて、このアルバムの音楽の凄さをロック・ファンは本当に実感するのは、AORやフュージョンが一般的な人気を得、このアルバムで使われているフュージョン的な音楽ボキャブラリが多少水増しされて定着した70年代終盤の頃だったと思う。つまり早すぎたアルバムだったのだ。一般的にこの手のフュージョンはマイルスの「ビッチズ・ブリュウ」が始祖と呼ばれているが、このアルバムの音楽は、リターン・トゥ・フォーエバーやウェザー・リポートと並ぶ、あの作品から生まれた第一世代の音楽ともいえる。ただし、実際のところロックとは、あまり縁があったとはいえない....と私は思う。

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