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PAUL MCCARTNEY / Run Devil Run

2007年10月11日 23時45分37秒 | Beatles
 「フレミング・パイ」に続く1999年の作品。先日書いたように「フレミング・パイ」は多分「アンソロジー」の製作がきっかけになったビートルズへの回顧モードが横溢した作品だったけれど、その2年後に作られた本作ではその回顧モードが更に「ビートルズ以前」に向かっていることを感じさせる作品だ。オリジナル曲が3曲ほど入っているが、残り12曲はすべて50年代のR&R作品ばかりで、一種のカバー・アルバムになっているのだ。おまけにこのレコーディングにはせ参じたメンツが、ミック・グリーン、デイブ・ギルモア、ピート・ウィングフィールド、イアン・ペイス、デイブ・マッタクスという、ポールとは世代的も音楽的にも「空気を共有していそうなメンツ」なのが、そのあたりの狙いを雄弁に物語っているといえるだろう。

 音楽的にはストイックなまでにシンプルでストレートなロックンロールである。これは集まったメンツがメンツなだけに可能だった結果なのだろうが、まさに阿吽の呼吸といいたいようなリラクゼーションと緊張感がほどよくブレンドされた演奏が展開されていて、これが実に気持ち良い。私は音楽的ルーツがビートルズそのものだったりするから、ここで演奏されている諸曲のオリジナルには全く縁がないのだけれど、おそらくビートルズの最初期のカバー作品と同様、オリジナルをよりシャープで、ラウドな方向でアレンジしているのだろう。ここでも基本スタイルにはきわめて忠実だが、時に70年代風にヘビーだったり、ソリッドなサウンドが随所に顔を出し、単なる懐古趣味に走った懐メロ大会というには辛口な音になっているのはさすがだ。ポールも声もいつになく若々しく、まるで初期のビートルズ時代のシャウトを思い出してしまうところすらあるほどだ。

 まぁ、そういうアルバムなので、従来の「甘くロマンティックなポール」を期待すると全く裏切られるだろうし、「フレミング・パイ」同様、本作もリスナーの心情を慮ったような社交性、外向性とは対極にあるポジションで製作されているせいで、基本的には内向的な方向性をもっているので、そういうところを地味に感じてしまうムキは当然あるだろう。ともあれ、その潔さが身上のアルバムだ。それにしても、あのテビッド・ギルモアがフェアポートのデイブ・マッタックスのドラムをバックに、こういうギターを聴かせるとは....。しかも、それがバンド・ミュージックとしてぴたりと額縁におさまっているのは、ポールという主役の巨大な存在感故なんだろうな。 

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