Blogout

音楽全般について 素人臭い能書きを垂れてます
プログレに特化した別館とツイートの転載もはじました

LED ZEPPELIN 3

2006年08月29日 23時55分51秒 | ROCK-POP
 私がレッド・ツェッペリンをリアルタイムで聴き始めたのは、確か74年の「フィジカル・グラフティ」が出た頃だったと思う。もちろん、有名どころはいろいろな機会で聴いてはいたから、初めて聴いたアルバムではもちろんないのだけれど、とにかくこれを購入し、改めてそれ以前のアルバムを遡って聴いていったという感じだったはずだ。当時の僕は「ハード・ロックといえばディープ・パープル」という人だったので、ツェッペリン流のエキゾチックなリフの繰り返しでもってぐいぐい盛り上げていくタイプのハード・ロックはあまりピンとこなかったのだが、おそらく当時のロック少年に絶大な信望を得ていた渋谷陽一氏によるラジオでの薫陶の賜か、ツェッペリンも聴くようになったのだった。

 で、当時、渋谷陽一でツェッペリンといえば、これは当然「天国への階段」ということになった。「天国への階段」という曲は4枚目の旧A面の最後に収められた大作で、アコスティックでトラッドな導入からエレクトリックでハードな後半部まで、ドラマチックに盛り上がる名曲として現在でも、ロック・スタンダードのひとつとなっているが、70年代中盤の渋谷氏のこの曲対する愛情は尋常ではなく、彼のおかげでいったいどのくらいのロック少年がこの曲を特別視、神聖視するようになったか、数知れずといったところだったと思う。もちろん私もそのひとりである。「この世の中に確かなものはない....だから私はロックをやるのだ」みたいなことを歌詞も含め、当時の私はこの曲にとても魅了されていた。

 さて、なかなかサード・アルバムのことが出てこないのだが、このアルバムには旧B面2曲目に「タンジェリン」というごくごく地味で、いってしまえばとりとめのない曲が入っている。この曲はチューニング風なSEに始まり、トラッド風なアコスティック・ギターに始まり、叙情的なメロディーを経て、サビとコーラスではエレクトリックなサウンドへと変化するのだが、ある日私はこれを聴いてハタと思いついたのだった。「この曲は「天国への階段」のプロトタイプだ」と....。果たして、それが正解だったのか、勘違いだったのは今でもわからないが、そのことをひらめいた私は有頂天になった。まさに世界で私だけが知っている....ってな気分だったんじゃないかと思う。そうなると歌っている内容も、「天国への階段」のように深淵なものに違いないと思うようになった。しかし、このアルバムの曲の訳詞は当時のライナー・ノーツには掲載されておらず、私は一念発起して、単語辞書を片手にこの曲の歌詞を訳しはじめたのだった。

 確か、夏の暑い日だったと思う、当時はエアコンなどある訳もない、自分の部屋で汗をたらたら長しながら、必死に単語を引きまくっていった。しかし、おぼろげながら分かできあがってきた私流の訳詞は(おそらく間違いと勘違いだらけだったと思うが)、別に深淵な内容でもなんでもなく、ただ振られた女に思いをはせる普通のブルースとしかいいようがないものであった、1974年の夏のことであった。
 ちなみに、私はひどく落胆し、これは英語がわからない自分が悪い、本当はもっと深淵な意味がある歌詞なのだと思いこむようになったが、その数年後、プロが訳した歌詞を観たとき、そま内容が以前に自分が訳したものと大して違わないこと知ったのだった。

 そんな訳で、私は夏に自分の部屋で、暑くて汗をたらたら流すような状況になると、きまってこの曲が流れ出し、辞書を片手に訳している必死な自分と、その後の落胆ぶりが脳裏を横切るのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする